先日、80歳をゆうに超えた母とランチをしました。
お店のモニターに、日本各地の名所がスライドショーのように流れていました。
僕が何気なく「ここ、どこだろう。綺麗だ・・」とつぶやいた瞬間、母はじっと画面を見つめ、「これは山口の角島大橋(つのしまおおはし)よ」と言いました。
ほどなくして、画面に表示されたテロップには「角島大橋」と書かれていました。
僕は内心、かなり驚きました。
というのも母は認知症が進み、昨日の出来事すら「あら、そうだったの」と忘れることもあるのに何十年も前に訪れた場所の名前を正確に覚えていたからです。
今日は、そんな「体験の価値」について綴ります。
なぜ昔の旅の記憶は消えないのか?
広く知られている事実ですが、認知症になると、新しい情報を記憶するのは難しくなります。
ですが一方で、昔の出来事、とくに感情を伴った体験は長く脳に残る傾向があります。
旅先で見た風景、誰と行ったか、どんな会話を交わしたか。といった詳細や空気感など、母の中ではまだ色鮮やかに残っています。
モニターに映し出された映像という視覚的なきっかけで、その記憶が呼び起こされ、僕にその楽しさを話し出したのです。
60歳前後の旅がもつ意味
母が頻繁に旅行に出かけていたのは60歳前後の頃でした。
ライフステージ的にも、家庭の義務から解放され、自由で、そして動き回る健康力もある、そんなタイミングです。
同世代の気の合う女友達4人組で、日本各地をあちこち巡っていたそうです。
母にとっては「第二の青春」のようなもので、旅行の計画を立てるための食事会も、実際に旅行に出かけるのも、とにかく楽しかったと、語ってくれます。
単なるレジャーではなく「人生の充実期」での大切な体験の一部です。
体験は目減りしない財産になる
ランチの終盤、母がふと僕に言いました。
「私はね、行きたいところには、本当にたくさん行ったの。だから、もう後悔はないのよ。あなたも行きたいところがあるなら、今のうちに行っておきなさいね。」
その言葉を聞いて、国内外の各地を、仲良し4名で旅をした経験が、母にとって「やり残しのない人生」という実感につながっているのは伝わってきました。
いまは体力的に遠出は難しく、一緒に旅をした友人も誰一人、健康ではないそうです。
でも、母にとって、その旅の思い出は「色あせない心の資産」となっています。
老齢期の安心感の源
こうした母との会話で痛感したのは、60歳前後という年齢での体験も、その後の人生の満足感に大きく左右する・・ということです。
今は、もはや500円のお弁当ですら2回に分けて食べる(半分は冷凍にしておく)ほど、食費もかからない、他にお金の使い道もない老齢期です。
その歳になると、衣食住さえそろえばもはや安心であり、それより「人生、十分にやりたいことをやり尽くした」という体験が、日々の肯定感や安心感(死んでも後悔はないという感覚?)になっているのが伝わってきます。
終わりに
人生なんて儚いもので、あっという間に時が過ぎて動けない80代になる・・というのは誰も避けられない現実なのでしょう。
そこまで寿命を全うすることができるのも幸運なことです。
ですが、老齢は怖いもので、消費という欲望も、手に入れるという喜びも、「将来」という可能性も、全て奪っていきます。唯一「心に刻まれた感動体験」が奪われずに残る続ける財産となります。
どこか空虚で切ない気もしますが、これが歳を取るという現実なのでしょう。
なので、僕が今できることは「やりたいことは先延ばしせず、未来への投資と思ってすぐに実行する」ということです。本音では、まだその効果や実感の伴わない行動ですが・・。
ただ20年後、風景の映像を見た時に「ここに行ったなぁ、楽しかったなあ」と思える日がきっとくるので、今は実感しなくても、それは投資としても、財産としても、大きな意味になるのだと感じた、そんなエピソードでした。
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