アーリーリタイア直後から現在に至るまで、毎日の生活のなかで「ああ、リタイアしてよかった」と自然に感じる場面があります。
それは、「やりたいことができる」というより、「やりたくないことをやらなくていい」という解放感を味わう時です。
そして、その解放感が会社員時代に重ねてきた「我慢」という負債を少しずつ帳消しにしています。
今日はそんな「やりたくないことをやらなくていい」という自由について綴ります。
日曜夜に働かなくていい安心
特に強く感じたのは、日曜日の夜です。
会社勤めをしていた頃、週末は楽しく過ごしていても、日曜の夕方から夜にかけて、気分が少しずつ重くなっていきました。
「明日からまた仕事か……」という感覚です。
サラリーマンの方が読まれると、少し“もやっ”とされるかもしれませんが、僕もまさにその一人でした。
だからこそ、リタイア後は「明日は仕事に行かなくていいんだ」と思えるだけで、深い安堵感を覚えます。
これはまさに、サラリーマン時代に積み重ねた「我慢の記憶」に対して、今の「やりたくないことをやらないで良い」という我慢を求められない状態で回収しているようなものです。
辛い朝からの解放
もう一つ、強く実感するのは、二日酔いの朝です。
リタイア後も、時には飲み会で飲みすぎる日があります。そんな二日酔いの朝、目が覚めて「今日は出勤しなくていい」と思えることが、精神的にものすごく楽なのです。
会社員時代は、どれだけ体調が悪くても、どうしても外せない会議がある日は無理をして出社していました。
そうした「きつい経験」があったからこそ、今この「行かなくていい」ことが、何とも言えない自由に感じられます。
そして確実に「過去の自分への償い」のように感じられるのです。
自由とは「やらない自由」から始まる
こうして振り返ると、リタイア直後に感じた幸福の大部分は、
(やりたくないことをやらない自由)>(やりたいことをやれる自由)
という「重みの差」に支えられていました。
そしてこの「やらない自由」による解放感は、リタイアから4年が経った今も、変わらず続いています。
もっとも、僕の場合はリタイア後、少しずつ「やりたいことをやる自由」も増やしていき、今では、
(やりたくないことをやらない自由)=(やりたいことをやれる自由)
というバランスになっているように感じています。
やらない自由からの幸福感が大きい理由
こうした「やらない自由」が深い幸福感をもたらす理由については、行動心理学でいう損失回避バイアスにも関係していると考えています。
人は「何かを得る喜び」よりも、「何かを失う苦痛」のほうを強く感じる傾向があります。
例えば、10万円を得たときの嬉しさよりも、10万円を失ったときのショックの方が大きい、といった非対称の感覚です。
だからこそ、「やりたくないことをやらなくて済む」=過去の苦痛を再体験しないという構造そのものが、人生の“取り戻し”につながっているのだと思います。
終わりに
以上のように、「やりたくないことをやらない自由」という解放感は、僕にとってリタイア生活の大きな恩恵でした。
これは、生活を劇的に変えるほどの大きな変化ではないかもしれませんが、じんわりと、そして確かに、日々の心を軽くしてくれる力を持っています。
そしてこれは、かつての会社員時代に「やりたくないこと」や「辛いこと」が多かった人ほど、より強く実感できるものではないかと思います。
今もなお、毎週月曜日になると「会社に行かねば」と感じる方も多いと思います。
でも、いつかリタイアの時が来たとき、そのすべての「辛さ」が報われることになると、ぜひ、お伝えしたいと思います。
↓