「若い時はお金より経験だ」、「貯金なんかせず旅に出ろ」。
これはよく耳にするフレーズです。でも本当にそれが、将来の自分にとって価値ある「投資」になるのでしょうか?
この問いに、ようやく自分なりの答えを持てるようになりました。
それは、「経験」を理由に若い頃の消費を正当化するのも、反対に「いざのため」と貯蓄ばかりで経験に投じないのも、どちらも極端だということです。
大事なのはその中間で「将来に繋がる経験を選択的に絞ること」です。
絞り方の具体方法が、例えば、20代なら「40〜50代に役立つ精神的・人的・金融的な投資」といった、+20〜30年後を見据えた選択です。
20代の体験は、40〜50代の精神的な土台になる
僕自身、20代はバックパッカーとして旅に出たりなど、決して金銭的余裕はありませんでしたが、バジェット旅行をして、お金は使い切らずに貯蓄しながら「今しかできないこと」を経験していました。
振り返ると、それらの体験が最も活きたのは、意外にも40〜50代前半です。
会社での責任が増えたり、人間関係も複雑化したり、孤独や理不尽さと向き合う局面が増えた時こそ、若い頃の旅の経験、失敗やら挑戦が、精神的・経験的に役立ってくれたのです。
なので、「20代の体験」は40代の自分にかけがえのないものでしたが、その記憶も今となっては鮮明に覚えておらず、70代~80代に役立つかは疑問です。
なので一般的な体験記憶の有効期限は+20〜30年になると思えます。
50代の体験は、80代の“記憶資産”になる
この+20~30年説でいけば、同じように、70~80代の老後を精神的に支える記憶資産は、50~60半ばの健康期の体験から生まれることになります。
それを強く感じたのは、認知症のある80代の母と会話したときのことです。
母は昨日の出来事も「あれ、そんなこともあったっけ?」と忘れてしまうことがありますが、なぜか、60歳の頃、仲良し4名組と共に旅をした「第二の青春」の記憶は、今も鮮明に語れます。
80歳の老齢になると、新たな生きがいも得られないので、母の心を支えるのは旅行体験で得られた「記憶資産」です。
その資産は「人生をやり切った」という肯定感も生んでいます。
その気づきは記事にしています。
若さゆえの冒険は、色褪せない「語れる記憶」になる
もちろん、若い頃の体験が老後に役立たないわけではありません。
若さゆえの冒険には、お金に換算できない「記憶の深度」があります。
見知らぬ土地を旅した経験は、たとえ記憶の細部が曖昧になっても、「若い“あの頃”にしかできなかったダイナミックなこと」として鮮烈に残っています。
SNS映えや流行ではなく、「あの時の自分にしかできない経験をした」と奥底に根を張る体験や感動があれば、それは間違いなく一生ものの「記憶資産」になります。
体験は段階的に活かす
つまり、体験の価値は、人生の段階によって異なる形で発揮されます。
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20代の体験 → 40〜50代の「柔軟な思考」と「精神的土台」になる
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50代の体験 → 80代の「再生される記憶」と「老後の生きがい」になる
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若さゆえの冒険 → 世代を超える「語れる記憶資産」になる
このように、体験は段階的に価値を発揮すると理解すれば、若いころ(欲やエネルギーが高い)時に、その体験が「浪費」か「投資」かの境目も見えてくると思います。
また、50代FIRE後の生活では、体力の低下もあるので何かと理由をつけて資産防衛(お金を使わない)となりがちです。
でもそこで大事なのは「新しい体験をインプットし直す」ことで、やはり20代の冒険的な体験が50代の体験アップデートでのモチベーションにもなります。
終わりに
さて、冒頭の疑問である「若い時こそ貯金をせずに経験に投資せよ」は正しいのか?
僕の答えは「若い時にこそ、若い時にしかできない経験をせよ、たとえお金がかかっても」となります。
それが、40代以降の人生を支える精神的資産になり、さらに80代で「人生は十分に楽しんだ」と心から思える「記憶の果実」となって返ってくるからです。
そして同じように、FIRE後の50代でしかできない経験も、80代の自分に残す「第二の青春の記憶資産」として、蓄財よりも体験を大切にしたいと思っています。
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