FIREは単に「解放された状態」という素朴なもの

2025-06-07

経済的自由・FIRE

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FIRE(経済的自立による早期リタイア)という言葉には「自由」や「解放」といった希望を感じる人が多いようですが、実態はシンプルです。

それは単に「経済的に自立し、働かなくても生活できる状態」にすぎません。

そんな状態ですが、それぞれ人間には「意思」があるので、「選択肢がある」とか「自己決定できる」といった言い方にもなります。

なので、原点に戻ると「会社という制度や拘束から解放され、自分で時間の使い方を決められる状態」という表現が適します。

ただ、「縛られない状態」だからこそ自由に、自分の価値観を反映させて人生の意味や選択を根本から変える転機にもなりえます。

今日は、そんなFIREという状態と人の感性の関連について綴ってみます。

「仕事が嫌だ」と思ってFIREを目指すのも正しい選択の一つ

現役時代、仕事が苦痛だった人にとって、FIREは救いや目標になり得ます。

「働かなくてもいい状況」を、自ら資産形成をして築くことは、立派な選択と努力があるからで、決して批判されるべきでものでもありません。

ただ、世の中の「仕事至上主義」の人は、働く=正義、働かない=堕落、という価値を持っているので、彼らの目からみたらFIREを目的にすることに違和感を唱えます。

職種、本当に仕事ができるか否かに関わらず、「”仕事”にこそ価値がある」いう眼鏡を通して物事を見るので、FIREを否定的に捉えるのは一種の思考の癖です。

じゃあ、その「仕事」というのも、汗をかく仕事が正義でお金に働いてもらう仕事はだめなのか、フルに働くのが正義で週1日のパート労働はだめなのか、労働をしないで親の介護をしている人はだめなのか・・など、仕事の質も量も多様で、言い出したら切がありません。

そもそも、世の中には多様な価値観があるわけで、そんな歪んだ癖は自己補正(自己認識)して欲しいですし、「いちいち人の価値観に文句をつけるな」と言いたいぐらいです。

なにしろ、本人が意志をもって努力し、実現したFIREという状態は、その人が手に入れたものであって、尊重されるべき人生選択です。

僕にとってのFIREの位置付け

なお、僕自身、FIREを強く望んでいませんでしたし、だからといって仕事至上主義でもありません。

資産形成は、大学時代からバイトや株式投資に手を出しながら蓄財をしていました。

父が早期リタイアして起業したことも影響し、「定年を待たず辞める」という発想も自然にありました。

ただ、入社した日から「仕事は理不尽である」を織り込んでいたので、仕事の負(理不尽なる苦)の領域はなるべく回避し、正の領域を見い出す、そんなゲーム感覚でしていました。

30代半ばで友人達と起業もしたので、会社に服従もしていなければ、FIRE後にあえて起業という夢も抱いてはいませんでした。

ですが、40代後半にFIをしたら「もう仕事を辞めても困らない」と、気分が楽になり、あえて「こうやれば上手くいくのでは」という仕事(プロジェクト)の仮説を上の反対があっても試したかっただけで、7~8年ほど勤め続けました。

まあ、自己防衛メンタルと運の良さで、結果的にごく自然なFIREになっただけです。

FIRE実行のきっかけ

50代半ばに差しかかり、「このまま仕事に時間を費やしていいのか?」と自問するようになりました。

人生の時間は有限なので、「仕事に割当過ぎるより、もっと他の大切なことに時間を使いたい」とは思っていました。

そんな頃にRE(早期リタイア)の判断につながる3つのきっかけがありました。

子どもが社会人になり親としての役目を終えたこと。長年の仕事が一段落した(仕事に貢献できる能力も限界まできた)。そして異動(帰国)のタイミングが重なったことで、リタイアを決意しました。

FIREを決意した理由

一時帰国して親に会うと老齢だったり父は病気だったり「親孝行の期限」も迫っていると感じました。

また、20代から書き溜めていた「やりたいことリスト」は100項目を超える申し送り事項もあり、人生の時間配分を変えないと「やるべきこと・やりたいこと」をやりきれないとも感じました。別に大そうなリストではなく発表も阻まれる変な内容もあります・・。

FIREは「何をするか」を選べる自由の土台

という経験も踏まえると、FIREは解放ではありますが、同時に、「自由に選べる状態」と感じています。

FIREという経済的自立と早期リタイアという「状態」に立って、あらためて、人生での優先順位や人生観をもとにしたセカンドライフを作ろうと、そう思いました。

もちろん、そんな選択は人によって違うでしょう。

穏やかな暮らしを選ぶ人もいれば、第二のキャリアや学び直しに挑む人もいます。

僕は、穏やかさを軸に冒険したいとか、過去の仕事とはかけ離れた学び直し(現役時代に学ぼうとも思わなかったことを学んでみたい)をあえて進めている立ち位置です。

まあ、こうした状態なので、根底には「自分の意志で決められる・・」という自己決定がFIREの本質だと思います。

FIREをすればすべての悩みが消えるわけでもなければ、自動的に充実した人生が手に入るわけではありません。でも、自分でやりたいことはできます。

終わりに

FIREは「束縛からの解放」であり、そこから「何もしない人生」でも「より豊かな人生を目指す」でも、どちらも選べる自由はあります。

なので、FIREは自分の価値観に沿った人生を組み立てるための土台であり状態です。

その土台に、「経済」「精神」「時間」「場所」「人間関係」などの様々な自由があるわけで、それらをもとに、“いつ、どこで、誰と、何を、どうしたいのか・・”を自分で決めれるだけのことです。

それをFIREという表現以外に思いつく言葉はなく、FIREと呼んでいますが、別に今の時代に急に生まれたコンセプトでもなく、古くからある「経済的に困らないことで自己実現する」というだけです。

経済的に困らないというのは、「生活費≦資産所得」なので、生活費がかからない生き方を選んで満足しているなら、自己実現は近い場にあるとも言えます。

世の中に「FIREは1億でも足りない」と極論を言う人がいますが、セミリタイアなり方法はあるので、そんな無理やりFIRE(資産額)のハードルを上げる必要もないとは思います。


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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