FIRE失敗というのは、一般的には「お金が尽きて働かざるを得なくなる」といった経済的破綻を指します。
経済的な自立が前提ゆえ、その土台が崩れるのは確かに失敗というか不本意です。なぜなら「望まない選択(例えば、働きたくないが働く等)」をしなくてはいけないからです。
それゆえ、FIRE4年目に入るまで収支管理や資産運用の安定化にも取り組んで、経済的な問題には対処してきました。
経済的な土台が安定した今、僕が感じる「FIREの失敗」は、内側から起こる精神的なものといったリスクが中心です。
端的にいえば、せっかくの自由があるのにその「自由を楽しめなくなった状態」です。
今日はこの自分にとってFIRE失敗となる点を2つ挙げてみます。
① 感覚が鈍くなること~自由の劣化
FIRE生活は、誰からも指示されず、目標も課されず、すべてが自分次第です。
解放感でもありますが、逆に言えば、「自分で自由を回せなくなったら終わり」とも感じます。
そんな自由に振り回される具体的なシチュエーションは、
・何をしても心が動かない
例:旅行が楽しめない、友人との食事が億劫になる
・変化や挑戦がなく、ルーティンの中で日々が淡々と過ぎていく
例:新しいことに取り組む意欲が湧かない、毎日が同じに感じる
このような感覚に陥ると、せっかくの自由の意味が無くなってしまいます。
つまり、「自由の良さを感じない=感性の劣化=自由の劣化」となり、FIREの意味は薄れてしまいます。
②「枠なき自由」が停滞を招く
FIRE生活において、僕はあえて「明確な目標を持たない」ようにしています。
目指すべき目標を決めすぎると、それに縛られたり、予定を詰めすぎたり、無理をしたり・・といったことをしてしまうからです。
そうした余白をあえて作ることで、あえて過程を楽しんだり意外性を求めるようにしています。
そのため「枠をつくらない自由」を設定するのですが、これによって落とし穴もあります。
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予想外の体験や巡りあわせを喜べない
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ふとした思いつきを行動に移せなくなる
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なんとなく日々の生活でマンネリ感がある
といった状態などの、「変化を恐れ、惰性で日々を過ごしてしまう」と、もはやFIREの意味が薄れてしまいます。
“何もしない自由”を否定するわけではない
とはいえ、変化や意外性ばかりもとめ、何もしない自由は無意味だというつもりはありません。
僕はいまの段階で、「変化を求めるFIREスタイル」をあえて過ごしているだけで、これが唯一の正解でもありません。
FIREという自由の価値は、「何をしてもいい」だけでなく、「何もしなくてもいい」ことにもあると思うからです。
日々を静かに過ごしながら、穏やかな解放感の中でWell-beingを味わうFIREも素晴らしい選択肢のひとつです。
僕自身、今は変化志向のFIRE生活を過ごしていますが、こうしたスタイルは環境や心の状態あるいは年齢によって変わると思います。
なので将来的に「静かなFIRE」を望むようになるかもしれません。
終わりに
僕にとってFIREの失敗とは、「感性が鈍り、心が動かなくなること」や「変化を恐れ、惰性で日々を過ごしてしまうこと」です。
こうなると、「好きなことも苦手なことも自由に取り組んで、意外性やワクワク感を楽しむ」といった生活を維持できません。
その状態が崩れることを僕は「失敗」と定義してみました。
ですが、失敗とはいえ、例えば将来、僕が今の生活状態を崩して「変化のない心穏やかな生活」を望めば、それはステージ卒業であって、FIRE失敗というものでもないと感じます。
言い換えると、自分が良いと思って選択をし続ける限り、本当の意味での失敗は無いと思いますし、そう考えることで前進し続ける勇気も持てるのだと思います。
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