FIREできるのにしない人。
それは働かなくても十分な資産があるにもかかわらず、「FIREしたい」と言いながら、いつまでも仕事を続ける人です。
そうした「決断の先延ばし」を批判するものではありませんが、大切なのはその間にも、目に見えない「3つの損失」が積み重なっているという認識です。
働き続けることで得られるのは、たしかに「経済的な余力」です。ですが、それは時に「生きているうちに使い切れない余剰」を積み上げているだけかもしれません。
一方で、その代償として失っているものが「時間」「健康」「人生の再設計(自己実現)」という3つの資産です。
今日は、早期リタイアを先延ばしにして失うこの3つの損失について綴ります。
時間損失~「自由に使える時間」は今が最も価値が高い
FI(経済的自立)を達成したあとも働き続けることは、確かに資産の上積みにつながり、リタイア後の精神的な安心感を高めるかもしれません。
しかし、その安心感と引き換えに、今この瞬間の「自由な時間」を失っています。
例えば、50歳でFIを達成しても、60歳まで働き続ければ、本来RE(早期リタイア)によって得られるはずだった10年間の自由時間を手放すことになります。
健康寿命を70歳と仮定すれば、50〜60歳の10年間の労働は、残りの健康寿命のうち50%を消費していることになります。
つまり、「元気で、やろうと思えば何でもできる貴重な時間」を、さらなる資産形成のために差し出すことが本当に合理的なのかを問う必要があります。
僕自身も上の世代の高齢者と比較すると、旅行にしても、食にしても、制約なく楽しめている実感を強く感じます。
健康の損失:働き続けてすり減る「心身」
FI達成後も「なんとなく不安だから」と働き続けてしまうと、仕事によるストレスからは逃れられません。
たとえ過酷な労働でなくとも、通勤、人間関係、成果へのプレッシャーなど、仕事には必ず心身への負荷があります。
そしてその負荷は、年齢を重ねるほど蓄積しやすく、回復もしづらくなっていきます。
FIを達成したということは、本来「健康を守る生き方」へと切り替えるタイミングであるはずです。
それなのに惰性で働き続ければ、「健康資本」という最も重要な土台を削ることになるのです。
健康資本は、FIRE生活でも最も大事なものだと痛感しますが、心身ともに豊かな発想や感覚を持って過ごすための原動力となるもので、これを損なうと生活の質に影響します。
やはり、失って初めて気が付く健康の重要性を過小評価するのは危険です。
自己実現の損失:「人生の再設計」の遅延
FIREの本質は、単に「働かなくてもよい自由」ではなく、「自分の時間を自分でどう使うかを決められる自由」にあります。
しかし、FI達成後も仕事を続けている限り、「仕事中心の設計図」から抜け出すことはできません。
そこには、「会社の期待や評価に応える」ことを前提とした思考や行動が残り、効率や成果を意識するあまり、たとえ長期休暇での旅行中でさえ完全に気を抜けない状態だったと、リタイア後の旅行感覚から振り返ると感じます。
「仕事が気になってしまう」という心理的拘束は、働いている限り消えないものです。
RE(早期リタイア)に踏み切ることで、ようやく会社中心の価値観を手放し、「本当にやりたかったことは何か」とか「自分らしい時間の使い方とは何か」といった人生の再設計が始まります。
その一歩を先延ばしにするほど、切り替えのタイミングは遅くなり、高齢になってからでは心身的にもスムーズに切り替えできない可能性があるのです。
終わりに
FIを達成したあとも惰性で働き続けることで「経済的な安心感」は得られるかもしれません。
しかしその裏では、「今という時間」「健康という基盤」「人生を再構築する権利」といった、(見えない)重要な資産を失っていることも忘れてはなりません。
FI後、リタイアを先延ばしするのは「差しあたってやることがないから」といった現状維持バイアスや、「収入があるから良いか」という短期目線で捉えている可能性があります。
長期的な視点で考えると、これは価値のある資産を削っている行動ともいえます。
なお、僕自身、FI達成から約7年を働きましたが、後悔はありませんしそれが人生の全体最適につながっている感じています。
大事なのは、こうした見えにくい「3つの資産」を踏まえて、リタイアしないことが本当に得なのか、熟考することだと思います。
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