ある「FIRE(早期退職)で失敗する人」というタイトルの記事で「FIRE(早期退職)してみたが幸せになれず、結局再び働き始める人が多い」という記述がありました。
失敗の原因でありパターンは、1つ目が「やることがない」、2つ目が「話が合う人がいない」、3つ目が「仕事をしている方が幸福だった」というものです。
つまり、暇・孤独・アイデンティティの喪失が、FIREの三大課題として触れられていて、これは僕も完全同意の「FIREのリスク」です。
一方で違和感があるのは、「FIRE=のんびり暮らすこと」と限定的かつ短絡的に捉えられている点で、「選択肢を持つこと」がFIREの真価だと思う僕とは、世代ギャップがあるかもしれません。
今回は、この記事を考察し、実際のFIRE経験を踏まえた別の角度で読み解いてみます。
記事の主張ポイント
この記事は、「FIRE(早期退職)で失敗する人の特徴」というタイトルで、個人投資家・トレーダーである中原良太さんが執筆されたものです。
FIREについては、
筆者は、「FIRE(早期退職)」は過大評価されているように感じます。「宝くじに当たったら何をしたい?」みたいな話はいつの時代も盛り上がるものですが、こういう「お金があって不自由なく暮らせる」ことに、人々は過度な憧れを持つものなのでしょう。
と、FIREに対して過度な期待があることに疑問を投げかけています。
また、記事では次の3つのリスクを挙げています。
1.自由を持て余す~FIRE=暇・退屈?
ビジネスで成功して「FIRE(早期退職)」した人は、たしかに経済的自由を手に入れるでしょう。しかし、INSEADの研究によれば「経済的自由」になっても、その自由を持て余してしまう人は多いようです。
これは「FIRE=暇・退屈」というリスクですが、この“自由を持て余す”という状態をすぐに「失敗」と断じるのは早計だと思います。
自由の大きさに慣れていない初期段階で暇という空白に戸惑うのは当然ですし、その戸惑いこそが「本当にやりたいことを見つけるための起点」になることもあります。
ビジネス的な成功者ほど、「忙しい=価値がある」、「暇=無価値」といった思考に縛られがちで、これはいわば「ビジネス脳」によるバイアスです。
FIREは、むしろそのバイアスを外す絶好の機会だと感じます。
2.孤独とどう向き合うか~FIRE=孤立のリスク?
次に、FIREによる「孤独」の問題を筆者が指摘しています。。
また、FIRE(早期退職)した後には、同じ境遇の友人や家族がなかなかいないため、孤独感に悩まされる人は多いようです。中原もFIREに近い暮らしをしている一人ですが、「周りと話が合わなくて寂しい」と感じることは、けっこう多いです。
中原さん自身も「FIRE的な暮らし」をしており、「周りと話が合わなくて寂しい」と感じることがあるそうです。
確かに中原さん(若い)の年代では周囲にFIREしている同世代も少なく、少数派として同じ境遇にいる人との関係を築くのが難しくなり、孤独を感じやすくなるとは思います。
ですが、“孤独”と“孤立”を分けて考える必要があります。
孤独は、必ずしもネガティブなものではなく、創造性や自己理解を深めるための時間にもなり得ます。
一方で、「話が合わない」ことによる社会的な孤立は、心の健康に悪影響を及ぼしやすいため、注意が必要です。これは、承認欲求や同調欲求といった社会的欲求が満たされにくくなるためでしょう。
3.再び働くことは「失敗」か?~アイデンティティ喪失?
3つ目のリスクは、「FIRE後にやることがなくなり、また仕事に戻る」というFIRE卒業パターンです。
結局、FIRE(早期退職)してからも居心地の悪さを感じて、ふたたび仕事を始める人も多いと思います。筆者の周りでも「仕事をやめたところでやることがないし、仕事を続けたほうが幸せだ」と言う富裕層の方がけっこう多いです(のんびり暮らしてスローライフ……という人は、ほとんどいません)。
ここでの「仕事を続けたほうが幸せだ」というのは、いわゆる「仕事が居場所」としてアイデンティティ復活に該当します。
ですが僕が感じる違和感は、「FIREの本質を狭く捉えすぎているのではないか?」という点です。
なぜならFIREとは、「働いても良いし、働かなくても良い」という選択を自分で決められる状態であり権利です。
もとの仕事(営利活動としての仕事)に戻ることも、非営利活動や創作、地域活動、学び直しといった他の選択肢をライフワークとして選ぶことも、FIREならではの自分の居場所の選択です。
それゆえ「営利の仕事に戻る」という選択(だけ)が失敗となるのは、FIREの真価を見落としている気がします。
終わりに
FIREとは、「仕事を完全にやめることができれば成功」とか「それができなければ失敗」といった二項対立的なものでは無いと思います。
選択肢を持ち、それを自分で選べる状態こそがFIREの本質だと、実際の日々のなかで感じています。
早期リタイアによって「暇」が生まれて初めて、自分の本当の選択肢が見えてきます。
なお、その過程で生じる「孤独」は選択をするうえでの創造性や自己対話の時間の源として意味あるものです。
結果的に「仕事に戻る」となっても、計画性の甘さで仕事復帰しか選択できないのではなく、自由な選択の1つとして選ぶなら、その判断も尊重されるべきで、失敗と呼んではいけないと思います。
やはり、FIREの価値を「選択肢を自己決定できる」というより「働かないこと」と定義しがちな場合は、それはいわゆる「ビジネス脳(働く・働かないが勝敗と考える習慣)」のバイアスがあるので、バイアスを手放すことが自由への第一歩だと思います。
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