FIRE後の生活を送っていると、時にこうした声に出会います。
「余剰資産なんて、使い切らなければもったいない」
「そんなに残っているなら、もっと早くリタイアできたはず」
確かに、FIRE後の資産が思ったほど減らないというのはよくある話です。
運用の影響や支出の抑制により、気づけば資産が想定よりも余っているという状況を「無駄だった」、「働きすぎた」と見る人もいると思います。
ですが僕は、その意見に必ずしも同意していません。なぜなら、「余剰資産=無駄」という単純な構図では、FIREという生き方の本質を見誤るからです。
今日は、余剰資産が無駄なのか、についての考えを綴りたいと思います。
余剰資産とは
ここでいう余剰資産とは、生活費やライフイベント費、生活防衛費などの必要な支出を差し引いても明らかに「使う予定のない資産」のことを指します。
FIRE後、そうした資産が減らないことで、「だったらもっと早く辞められた」、「無駄に働いた」と後悔する人もいるかもしれません。
でも、それは後になって分かった「結果論」です。
大切なのは、「資産が幾らあるか(余っているか)」の数字ではなく、その資産がどのような意味や役割を担っているのか、だと思います。
余剰資産は「負けない賭け方」(①)
僕は、余剰資産を「負けない賭け方」と捉えています。
例えるなら、野球好きの友人たちと観戦中、「勝った方が奢る」という軽い賭けをするとします。
普通なら、自分の応援するチーム(例えば巨人ファンなら巨人)に賭けるのが自然です。勝てば嬉しいし、奢ってもらえる。ダブルに最高です。
でも、こうした状況で「負けない賭け方」をするならあえて阪神に賭けます。
阪神が勝てば奢ってもらえるから嬉しい。巨人が勝てば自腹だけど応援していたチームの勝利だからやっぱり嬉しい。つまり、どっちに転んでも「損をしない」賭け方です。
僕の人生で損をしない賭け方となってリスクをヘッジしてくれるのが「余剰資産」です。
将来、健康不安・年金制度の改悪、予期せぬトラブル・・など不確実な将来に対しての備えとして、「あってよかった」と思えるのが余剰資産です。
何も起きなければ「使わずに済んでラッキーだった」と笑え、使えば「あってよかった」となる。それは負けない賭けの感覚に近いのです。
なお、楽しむだけの野球観戦なら巨人にかけます。勝てばダブルに美味しい。ゼロか最高かの極端でも構いません。でも、一度っきりの人生という根幹は、負けない賭けをしておきたいと思っています。
今に使うが最適なのか(②)
もちろん、別の見方もあります。
「未来の備えより、今こそ使うべきだ」という発想・・たとえば『Die With Zero』の著者、ビル・パーキンスのような合理的な考え方もあります。
ビル・パーキンスは、トレーダーとしてキャリアを積んだ人物で、リターンとリスクを数値で管理する世界で生きてきました。
そんな彼は、人生を「お金の投資対象」として捉え、最適解として「思い出というリターンを最大化しよう」とする発想が根底にあり、それはまさに合理的なマネーゲームの延長線にあると思います。
彼の理論は一つの完成された投資モデルですが、僕にとってのFIREはもう少し非合理的で抽象的です。
合理性よりも、「人生で何に価値を見出し、どんな時間を生きたいか」という解のない問いを常に持ち続けることが重要で、お金はその答えの「手段」にしかすぎません。
余剰資産があることで「今の自分」や「将来の自分」が安心して自由に動けることが大切な価値です。
終わりに
結局のところ、余剰資産をどう見るかは、その人の価値観次第です。
合理性を追求し余剰資産を「無駄」と感じる人もいますが、僕はむしろ、人生の予測不能なリスクに備える静かで力強いパートナーだと思っています。
そんな、負けない賭けをすることで、今を安心して楽しめることに役立つのが適度な「余剰資産」です。
言い換えると、お金を使い切ることに縛られるより、自分の納得に正直でいたいということであって、そのための「余剰資産」なら、嫌いではありません。
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