先日、「富裕層はFIREに目もくれない」というタイトルの記事を読みました。
そこで主張されていたのは、「経済的自立は、好きな仕事をするための手段である」、「イヤイヤ働いてきた人は早期リタイアを選び、充実して働いてきた人は独立起業を選ぶ」という構図です。
筆者の周囲にいる富裕層は、この「好きな仕事をし続けるタイプ」が圧倒的多数だそうです。
今日はこの記事についての所感を綴ってみたいと思います。
富裕層はFIREに目もくれない?
これはプレジデントオンラインの記事です。記事内で気になる点は、「働きたくない」「仕事が楽しくない」という人が「RE」つまり早期リタイアします。一方、「仕事は楽しい。でも会社員だと自由にならない」という人は、自分で会社を立ち上げるなどして働き続けます。・・・私の周囲の富裕層はこのタイプが圧倒的多数派・・
イヤイヤ働いてきた(あるいはストレスに耐え忍んで働いてきた)人は早期リタイアを選び、充実して働いてきた人は独立起業を選ぶと言えそうです。
記事はこちらです。
なぜ富裕層はいつでも早期リタイアできるのに「FIREに目もくれない」のか
実際、僕の周囲にも働かないでも十分な資産がありながら、サラリーマンなり起業なりで働き続けている人はいます。
でも、そうしたFIRE(とくにRE)に目もくれず「経済的自立後も働き続ける」のは一部です。
ましては、サラリーマンが富裕層レベルの資産を作ってFI達成し、たまたまその過程で「仕事が充実しているから」といって「老後資金のためではなく、より自由に仕事ができるため起業する」なんていう「起業ラブ」な人はかなり稀です。
そこまでラブな人は在職中にちょっとした事業をしていたりします。
経済的自立は「逃げ」ではなく、「選択の自由」
FIREの「FI(経済的自立)」は、「働いても良いし、働かなくても良い」という選択を持つことです。
記事では、仕事に対する感情論から分類しており、
・「イヤイヤ働いてきた人=早期リタイアする」
・「充実して働いてきた人=起業する」
と単純な二分法で整理しており、これはFIREの実態を捉えきれていないと思えます。
仕事が嫌いであったとしても、リタイア後はあえて自分が本来やりたかった仕事であるとか、芸術系の趣味を仕事にしたいなどのモチベーションで、
・「イヤイヤ働いてきた人=起業する」*趣味を営利目的にするのも、ボランティアのように非営利でNPO法人を作ることも広く含めて
というのもあります。
また、仕事が好きで、周囲に求められるスキルや技能があっても、その本人が「人生の貴重な時間を仕事に注ぎ続けることは人生の機会損失だ」として、
・「充実して働いてきた人=早期リタイア(にて完全リタイアで違うライフスタイルに転換)」
という人もいるでしょう。
あるいは、仕事時間を大きく減らして家族との時間を重視したり、好きな場所に移住してゆるく働くなどの「セミリタイア」もあるでしょう。
やはり、「イヤイヤ働いてきた人は早期リタイアを選ぶ」、「充実して働いてきた人は独立起業を選ぶ」といった記事コメントはどこか違和感があって、これはまだまだ働く余力のある若い世代の一部の感覚ではないかと思えます。
富裕層の「働き方」がそのまま“正解”なのか?
なお、記事の中で取り上げているポイントは、「富裕層」です。
富裕層こそ、FIを達成した後もREはせず起業する人が多いと紹介されていました。
ですが、そもそも富裕層である段階で十分に自由で、時間の使い方も、誰と働くかも、自分で選ぶことができる立場にあります。
なので「すでに自由な人たち」がFIRE(特にRE)に目を向けないのは、言い換えれば、彼らにとってFIREという概念が「今さら目指すものではない」からとも言えます。
終わりに
仕事至上主義なる視点からFIREという生き方を、「逃げ」、「倹約人生」、「向上心がない」といった表面的なラベルで定義してしまうと、その中に含まれる豊かな可能性を見落としてしまいます。
FIREとは、自分にとって本当に大切なものを見つめ直すチャンスです。
仕事が嫌で早期リタイアをするのは「逃げ」というより「安泰なる自由」の獲得です。
リタイア後に倹約人生を送るのが「つまらない生き方だ」という見方をすると、富裕層でも相当質素に生きている人をどう肯定するのでしょうか?
早期リタイアをして仕事をしないと向上心がないというのも、そもそも向上心が仕事からしか身につかないという観点もかなり視野限定であって、世の中、芸術や創作、地域活動、子育て、静かな暮らしなど思わぬ「成長」をもたらす豊かな資産が身の回りにはあります。
「富裕層はFIREに目もくれない」という記事タイトルでしたが、富裕層こそFIREを通して、むしろ「自分自身と丁寧に向き合って起業に留まらない選択を視野にいれている」と、思うのは僕だけでしょうか?
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