今も時々、サラリーマンとして現役で頑張っている人たちに会う機会があります。
すると、一定の割合でこう尋ねられます。「FIREって、退屈じゃないですか?」
この質問を投げかけてくる人は、FIREに対して一定の理想を抱きつつも、どこかで「本当に楽しいのか?」という疑念を抱えているように感じます。
比較的多いのは、今まさに現場でバリバリと働いている会社員です。
彼らの口ぶりや雰囲気から、「FIRE後の自由な時間を持て余してしまうのではないか?」という不安がにじみ出ていることがあります。
今日は、FIREが退屈かどうかは、現役サラリーマンの「時間の使い方」や「思考習慣」が深く関わっていて、そこに2つのサラリーマンのタイプがあることを綴ります。
週末をどう過ごしているか
こうした「FIREって退屈じゃないんですか?」と聞いてくる現役のサラリーマンに、僕は逆に「週末はどう過ごしていますか?」と尋ねることがあります。
すると、案外こんな答えが返ってくることが多いのです。
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「とくに何もせず寝ていました」
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「ちょっと買い物したくらいですね」
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「日曜の午後からは翌週の仕事の準備をしていました」
もちろん、僕もサラリーマン時代には、平日の疲れを週末の睡眠や休息で癒していたこともありました。寝ていたり、外出を控えたり(せいぜい買い物程度)という週末も経験しています。
ただ、それが毎週ではありませんでしたし、少なくとも1日に1回は、買い物以外にも何か小さなこと・・たとえばカフェに行くとかをしていました。
このあたりに、どこかメンタリティの違いを感じるのです。
“現役でバリバリ働く人”の中には、週末を「自由時間」として過ごすよりも、「仕事のための休息や準備期間」として捉えている人が少なくないようです。
このような時間感覚を持っていると、FIRE後に自由な時間が大幅に増えたとしても、「自分の時間を創造的に使う」という感覚が育っておらず、退屈に感じてしまうのも無理はありません。
退屈を感じる2つのタイプ
実際、FIREに対して「退屈になりそう」と感じる人には、次のような2つのタイプがいると僕は考えています。
① 仕事中心の「没頭タイプ」
これは、先ほどの「バリバリ働く人」に多いタイプです。
仕事に強い自己実現ややりがいを見出しており、日々の達成感や充実感も職場での役割の中にあります。
このような人にとってFIREとは、「これまで軸としてきたものを失うこと」でもあります。
そのため、リタイア後に何を拠り所として生きていけばいいのか分からなくなり、結果として「自分の存在価値が感じられない(アイデンティティロス)」という状態に陥りがちです。
② 受け身の「消耗回復タイプ」
一方で、FIREに懐疑的な別のタイプとして、仕事に対して比較的受け身な姿勢を持つ人もいます。
いわば「淡々と指示をこなす」ようなスタイルで、仕事に能動性や積極性をあまり持ち込まない傾向があります。
週末の過ごし方を尋ねると、こんな答えが返ってくることがよくあります。
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「誰かに誘われたら外出しますが、予定がなければ家にいます」
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「週末は気がついたらもう夕方で、何もしていないうちに終わってしまいます」
きっと、家でテレビやYouTubeを見たりして過ごしているのでしょうが、「自分の意志で何かに取り組む」という姿勢が希薄な傾向があります。
仕事もバリバリタイプとは真逆で、指示に従って淡々とこなすような、あまり能動的ではないタイプです。
FIREの自由は創造設計ともいえる
結論から言えば、FIREが退屈かと聞かれても、それは「FIREそのものの問題」ではありません。
むしろ、サラリーマン時代にどう時間を使ってきたか、自分次第です。
サラリーマンでも、週末という「限られた自由」のなかで、創造的な過ごし方を設計できなければ、FIRE後の「より多い自由時間」を退屈なく過ごすのも大変だと思います。
でもこれは時間に対するスタンス(能動的か受動的)という性格的な特性なので、本質は変わることは難しいかもしれません。
となると、バリバリ働く仕事中心だけの「没頭タイプ」は、リタイア後、時間を持て余して退屈どころか虚無感を感じるリスクが大きいのでしょう。
終わりに
以上、FIREが退屈かどうかは、他人からは判断できません。
FIRE自体が退屈というものではなく、退屈というのは「その人がこれまでどう時間を使ってきたか」や「これから何を楽しみたいか」といった時間との向き合い方に答えがあります。
それゆえFIREが退屈とならないのは、最終的には、「自分は自由な時間をどう使いたいのか」に目を向けてみることが重要になります。
結局、FIREは自分を写し出す鏡にしかすぎません。
「FIREは暇、やめとけ」とSNSで声高にFIREをディスるのは、なんだかな~と思ってしまうのも、こんな理由です。
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