FIRE(経済的自由により、働かなくても生きていける状態)は、多くの人にとって理想的なゴールです。
一方で、社会で成功し、十分な資産や影響力を持ちながらも、FIRE(自由にのんびり暮らす事)を選ばずに活動し続ける人たちも存在します。
今回は、堀江貴文氏、イケハヤ氏、高橋歩氏という3人の自由人を取り上げ、それぞれのFIRE観を比較してみました。
成功の定義
今回のテーマでいう「成功」とは、以下のように3つのジャンルと定義し、それぞれのジャンルで秀でた著名人を調べてみました。
① 実業界で著名な功績を残している自由人 → 堀江貴文氏
② インフルエンサーとして成功を収めた自由人 → イケハヤ氏
③ 突き抜けた生き方をしている自由人 → 高橋歩氏
それぞれの生き方から、FIREの本質や自由との関わり方を見ていきます。
堀江貴文氏:ビジネスも遊びも自由に
堀江貴文氏は、ライブドア元社長としてIT業界を牽引した実業家です。
プロ野球球団の買収など数々の挑戦を通じて、旧体制に風穴を開けてきました。逮捕・服役を経た後も、宇宙事業やグルメアプリの開発など、多彩な分野で活躍しています。
そんな堀江氏は、「好きなことを夢中でやる」ことを重視し、自身にとってはそれがビジネスであると語っています。
彼にとって、ビジネスと遊びの境界はすでに曖昧であり、「夢中になることそのものが自由である」という生き方を実践しているのです。
堀江氏のFIRE観
堀江氏はFIREに対して、「退屈で虚無」と否定的です。
ただし、これは「FIRE=貯蓄を取り崩しながら節約生活をすること」とする一般的なイメージでの批判でもあります。
僕の考えるFIREは、「経済的制約から解放され、自分の意志で行動できる状態」であり、その定義に照らすと、堀江氏の生き方はむしろFIREの究極系とすら言えます。
ビジネスと遊びの区別すらない境地で、自分の世界を全力で生きる姿は、「内発的自由を体現するFIRE」の一形態と捉えることができます。
イケハヤ:居心地のよい解放の自由
イケハヤ氏(池田勇人)は、企業勤務を経て副業を通じてインフルエンサービジネスで成功した人物です。
YouTubeチャンネル「イケハヤ大学」は28万人の登録者を誇り、高知の山奥に移住し、都市生活や会社員に依存しない生き方を提唱しました。
その後、自分ひとりで稼ぐビジネスに限界を感じ、Web3時代のDAO(自律分散型組織)「Ninja DAO」を立ち上げ、リーダーと参加者がフラットにつながるコミュニティの創出に取り組んでいます。かつて広大な土地を購入し「イケハヤランド」としてユーザー参加型の農村テーマパークも作ったのも、挑戦の一つでした。
イケハヤ氏のFIRE観
イケハヤ氏は早い段階で「会社に頼らない生き方=FIRE的生活」を実践し、高知に移住しました。
しかし、その「解放」の先で、彼は単なる隠遁生活ではなく、自らの価値観に基づいた“フィールド作り”に注力しています。
堀江氏が「既存のシステム内のど真ん中(資本主義社会のビジネスというフィールド)で突き抜ける自由」だとすれば、イケハヤ氏は「システムの中心よりずれた場所で心地よい居場所を作る自由」を追求しているように感じます。
まさに、物理的・精神的に自分のフィールド(コミュニティ)作りをめざしているという創造者に思えます。
高橋歩:FIREという概念すら不要
高橋歩氏は、自由人・作家・実業家として知られる人物です。大学在学中にバーを開業、後に出版社を立ち上げ、ベストセラー『毎日が冒険』を出版。
29歳で会社をすべて手放し、妻と世界一周の旅に出たというエピソードが象徴的です。以後、旅、出版、イベントなど、型にとらわれない生き方を続けています。
特に印象的なのは、「住みたい場所を決めてはしばらく住み、また世界を旅して別の場所に住む」という、移動を通じて人生を編集し続けるライフスタイルです。
高橋歩氏のFIRE観
高橋氏の人生そのものがFIRE的です。本人はFIREという言葉を使いませんが、資本に縛られず、時間と場所の自由を手にして生きています。
「人生一回きりなんだから、自分がワクワクする方に全力で舵を切るべきだ。」
この彼の言葉に集約されているのは、「今をどう生きたいか」に忠実であることの大切さ。自由の本質は、まさにこの“自分が人生の編集者である”という感覚なのかもしれません。
彼にとってFIREは語るべきものではなく、「自然とそうなっている状態」として現れているようです。
終わりに:自由とは選択肢を選べる力
今回紹介した3人の成功者たちは、経済的な基盤に縛られないだけでなく、「自分がどのように生きたいか」ということに自然体で答えを持っています。
堀江氏のように突き抜けたビジネスを楽しむ自由も、イケハヤ氏のように心地よい環境を自ら作る自由も、高橋氏のように人生を旅として編集する自由も、いずれも「頭で設計した戦略」ではなく、「心から湧き上がる選択の結果」だと感じます。
そうした姿を見ていると、「FIRE」という言葉さえ必要のないような、“もっと根源的な自由”を生きているようで尊敬の限りです。
なので、自分も、時には頭で考える癖を取り払って、心から湧き出るものに従って自由にやってみることも大事なのではと思う次第です。
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