世間で「FIREは孤独だ」と言われますが、これにいつも疑問を持ちます。
「FIRE⇔孤独」を無理に結びつけ過ぎているからです。
逆にいうと孤独を感じるのはFIREとは別の要因があってFIREはそのきっかけの1つでしかないからです。
そうした「FIREは孤独だ」という見解について、イメージ先行の空中戦ではなく具体論として考えるために5つの孤独パターンを作って検証しました。
孤独はFIREと直接的な因果関係がありませんし、孤独かどうかは自分の考えや行動で変わりえるというのが結論です。
5つの孤独パターンをリストした
孤独感のリアリティーを出すための5つの状況設定というのは、
①人との交流不足:リタイア後に人間関係の機会が減少し社会的つながりが乏しくて孤独。
②意味の喪失:日々の生活で(目的がなくても良いが)意味を見い出せていなくて孤独。
③自分との対峙:過去の出来事や自己評価の不安など自分との向き合い方から感じる孤独。
④ステージ相違:置かれた状況(例えばアーリーリタイア)が周囲と違うゆえの疎外や孤独。
⑤生活環境の制限:生活環境が閉鎖的で刺激が少なくマンネリ化することから感じる孤独。
というものです。
それぞれみていきいます。
人との交流不足
状況としては、
「最近、人と会う機会がほとんどない。仕事を辞めてから同僚と話すこともなくなったし友達とも疎遠になっている。昔は職場での何気ない雑談が楽しみだったのに今はそういった機会がないのが寂しい。」
というものです。
ですがこれって「FIREは孤独」というものでしょうか?
だって働いていようがFIREしようが「人と交流をするかしないか」は自分次第なわけです。
働いていても職場の人と話さない人もいれば、会社を辞めて地域ボランティアに参加し交流の場を作る人もいます。
結局、FIREが人との交流を無くす直接の要因というよりも、人との交流の有無は自分の心構えや行動が大きいと思います。
意味の喪失
状況としては、
「毎日がなんとなく過ぎていくだけで、日々、何かを達成しているわけでもない。この空虚な気持ちから孤独を感じている。以前は仕事を通じて誰かの役立っていた実感はあったが今はそれがない。」
というものです。
そうかもしれませんが、だからって「FIREは孤独」となるのでしょうか?
だってFIREによって自分の時間が増えますが、その増えた時間を使って「何かを達成しないとダメだ」なんて誰が言ってるのでしょうか?
別に大きな目標や生きる目的を持たず、なんとなく時間が過ぎても良いわけです。
それがFIREのディフォルト値なわけで、そこから何かを始めればそれでプラスですし、何か目標を持てばそれは足し算なわけです。
なぜ「FIREは引き算」になるのか不明です。
仮に「仕事で人に役立つ実感があって懐かしい」と言うのなら、街に出て一日一善、ご老人を助けるなりゴミ拾いをするなりし、誰かに「ありがとう」と言われる習慣をやっても良いわけです。
結局、FIREによって自分の時間が増えたからといって、それが生きる意味を奪うわけでもなく、その時間を人の役に立つようなことに充てればいいだけのことです。
やはり自分の考えや行動が大きいと思います。
自分との対峙
状況としては、
「ひとりでいる時間が増えたことで、昔の失敗や後悔ばかりが頭に浮かぶ。自分自身と向き合う時間が増えて、かえってそのことが辛い。誰かと話して気を紛らわせたくても、どうすれば良いのかわからない。」
というものです。
そんなに自分にダメ出ししなくても・・・・。
でもこれこそFIREとは無関係です。
在りのままの自分を好きにならないまでも、あるがままを受け入れれば良いことです。
とはいえFIREで時間が増え、暇を持て余してネガティブな思考が出てくるからといって、仕事に戻って忙しさのなかで自分の気持ちを紛らしても、それは一時的な解決でしかありません。
昔の失敗や後悔なんて誰にでも(僕にも)少なからずあるわけで、この世に100%完璧な人生を歩む人なんているわけありません。
自分が十分に頑張ったと思うのなら「それで良し!」と受け入れるなり、どうしても受け入れられないのならその気持ちを誰か信頼できる人に打ち明けることも大事だと思います。
いずれにしても、自分と向き合ってネガティブになるのは自分の心の問題であってFIREが直接の根源ではありません。
ステージ相違
状況としては、
「同世代の人たちは仕事を続けて忙しそうだし、自分だけが違う世界にいて取り残された感じがする。彼らとは会話も合わなくなってきた気がして、話しかけることさえためらってしまう。」
というものです。
たしかに「アーリーリタイア」をすると日々働いている同世代とは物理的に共に過ごす時間は減ります。
だからといって「FIREは悪い」と言ってしまうのはどうかと思います。
これはFIRE前から「想定内」なわけですし、「アーリーリタイアをして同世代ともっと遊ぶぞ」なんて展開を期待して早期リタイアすることは無いはずです。
であるならば「自分と異なる世代と接点を持てる良い機会だ」と捉えて、同世代ができないことをやることで、違う世界で広がったり向上すれば、決して「取り残された」ともならないわけです。
結局、ステージの違いで人間関係が変わるのは当たり前のことですし、仕事だけが成長の源泉でもないわけです。
人間関係も成長の源泉もFIREが要因というより自分の考え方や姿勢が大きいと思います。
生活環境の制限
状況としては、
「毎日家の中、決まった散歩ルートしか出歩かず、外の世界と切り離されている気がする。このまま生活環境が広がらない制限に甘んじながら年齢だけ重ねるというのは、とても寂しく思う。」
というものです。
たしかにFIRE後は意識して行動範囲を広げないと生活環境は制限されます。
ですがそれって仕事をしていても同じではないでしょうか?
いつも同じ時間に起きて、同じルートで通勤し、同じ顔触れと仕事をし、同じ時間に帰宅する・・・。
いったいこれとどこが違うのか??
もし仕事によって人間関係や活動範囲が広がっていたというのなら、FIRE後も同じように自分が動き回れば良いのだと思います。
例えば東京であるなら1Dayパスを買って、お弁当を持って、知らない駅で降りてあちこち散策するだけでも365日では足りません。*ちなみに東京都23区内の鉄道駅は約497駅あるらしい。。
毎日プラプラし全駅制覇するだけでもサラリーマンの頃より生活環境は広がります。
ということで、生活環境が制約されるのはFIREの問題ではなく自分の意識や行動力の問題なわけですし自分のアイデア次第でどうにでも変えられると思います。
終わりに
孤独や疎外感を感じるパターンとして、①人との交流不足、②意味の喪失、③自分との対峙、④ステージ相違、⑤生活環境の制限、を取り上げました。
ですがどれもFIREが直接の要因ではなく、自分の考え方や行動ひとつで変わりえるものです。
なので「FIREは孤独」といった表現は微妙に的を得ていないものですし、反FIRE派によるプロパガンダでは!?とさえ思えます。
なお、孤独は集団のなかにいるときにも感じるもので、もし働いている時に孤立感、孤独感、疎外感があるなら、FIREこそそうした状況からの脱出手段にもなりえます。
と、家庭内で孤独を感じ離婚経験もある僕としても、孤独から逃げるよりそれを新たに生きる原動力に昇華できたらはるかに良います。
例えこんな感じ↓で辛い状態があっても・・・世界で自分だけがそういう目にあっているのではないと思えば、案外、救われるものです。
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