FIREの決断で「FIRE後、経済的に困窮せずやりくりできるか?」といった不安は多くの人が抱きます。
ましてはFIREを目指し、長きに渡って資産形成に取り組んだ人には「お金は努力の賜物」であり、それがFIRE後に不足することはプライドにかかわる大問題です。
厄介なのは経済状況(投資やインフレ)も社会状況(年金や税制)も安心できる未来を描けないといった変動リスクです。
そうした「失敗したくない心」と「読めない将来」を天秤にかけながらリタイアに踏み切る判断をするわけで、そこでは「腹落ちする拠り所」が大事です。
僕にとってその腹落ちする拠り所は「自己肯定感を伴った覚悟」です。
今日はこれを綴ります。
FIREの収支シュミレーションは究極の安心はない
まずFIREをするうえで誰もが取り組むのはFIREの収支シュミレーションです。
安心のため、想定されるFIRE後の収入・支出といった基本事項に対し、リスクを見込んだ「負荷係数」を盛り込みます。
収入としては「資産所得が想定より少なかったら」として資産に対して4%ではなく僕の場合は2.5%を積んだりしました。
支出としては「思わぬインフレや想定外の費用があったら」とインフレ率(僕の場合は2%)だったり車、家電の買い替え、医療費、各種イベント費用なども見込んでいきます。
でも何度も何度も見直したからといってシュミレーションはシュミレーションでしかありません。
先行きの経済不安は無くなるわけでなく、不安を取り除こうとシュミレーションを重ねるばかりでは「まだまだ不十分だ」とリタイアを先送りするだけとなります。
シュミレーションに完璧さを求めること自体が「幻想」なわけで、そこに究極の安心を見出すことはできないのです。
シュミレーションで得るのは考え尽くす
収支シュミレーションそのものから安心は得られないとしても、その過程が大事だとは思っています。
つまり「これ以上のリスクは無いだろう」といったところまで「考え尽くした」という満足感であり肯定感を得ることです。
その結果「これ以上考え尽くしても何も出ない」となります。
ここまでくると収支シュミレーションはリスク対策の一環ではなくだんだんと数字遊びに変わってきます。
数字遊びとは、例えば経済的に先行き不透明だったりインフレ懸念が持ち上がるニュースが出るたびに悲観的にシュミレーション係数を置いて計算したり、逆に、楽観的な状況では係数を緩くしたりなど「その場の感情に合わせて数字遊びをしている」となるわけです。
ここまで来ると「自分は数字遊びをしている」と客観的に自己認識でき、だんだんと「(FIREを)やってみないとわからない」とか「考え尽くしたからこれ以上の材料はない」となります。
こうした考え尽くすまでの「過程」があることが次のステップに行くうえで欠かせないと思うのです。
考え尽くしたあとの3タイプで運命が決まる
ここまでくればシュミレーションは「幻想」と遊ぶだけのツールとなっていて、そう認識すればするほどFIRE後のリアリティと向き合います。
それは「FIRE後のリアルな生活で想定外の事態が起きたらどう対処するか」といった「実践的な生きる術」をどう構えるかです。
その構え方に3つのタイプがあって「自己否定する人」、「楽観視する人」、「自己肯定する人」といったものがあります。
その構えるタイプでFIREの決断が変わってきます。
自己否定する人
自己否定する人は「どうせ自分は駄目なんだから確実完璧になるまで先延ばしだ」となるわけです。
もちろん客観的に自分の置かれた状態を把握し、リスクの読みに甘い点があってFIREを先延ばしにするのは良い事です。
ではなく主観的に「自分のやることは駄目だ」と自己否定し行動を先延ばしするのが自己否定する人です。
これでは良い判断とはなりません。
楽観視する人
その反対に「大丈夫、大丈夫」と、先行きに対して裏付けのない楽観的な見通しを持ったりFIREをしたい「欲と勢い」で甘い見通しで決断することも望ましくありません。
これは自己否定派の対極にある良くない判断です。
こうした楽観する人がFIREなり物事に行き詰まると「市況が悪かった」とか「インフレが悪い」といった他責にしてしまいます。
人生すべてがうまく行くわけありませんしましては社会経済といった外的要因から影響を受けることは避けられません。
誰もが似たり寄ったりの状況ゆえ自分だけ外的影響の外側にいることなんて生きている限り無理なことです。
そうしたコントロールできないこと(市況やらインフレやら)を責める気持ちはわかりますが、いつまでもその責任だと押し付けたところで「で、自分はそれでどうするの?」ということになるわけです。
まあ実はこうした他責では資産形成が上手くいくとも思えませんが・・。
ただこうした点は「認識すれば変えられる」とは思います。
自己肯定する人
ということで、やはりポイントはそうした否定派と楽観派という両極端の間に位置する「自己肯定派」というものです。
感情的に「やっぱりダメだ」と否定せず、かといって根拠なく「大丈夫だ」とも思わない、それがゆえに他責にせず「何が起きても受け入れるしかない」といった自己肯定をする人です。
自己肯定というのは、外部に対して感情的に否定したり、悲観したり、楽観したりするのではなく、内部(自分)に対して「FIREをして上手くいかなければその時はその時だ」といった「受け入れる覚悟」を持てる人です。
つまり、想定外の事が起きても、外部の責任を探して責めるより自分の力を信じて乗り越えることで、でもどこか「なんとかやっていけるだろう」と自己肯定する心構えです。
3タイプのミックス度を知る
ただ人間は完璧でもなければ考え方や捉え方は人によります。
なので100%自己肯定というのは無くて自己肯定を過半数にどのようなミックスかというバランスが良いのだと思います。
例えば「自分のなかの30%は否定的で70%が自己肯定的」という人もいれば、僕のように「30%は楽観的で70%が自己肯定的」というのもあります。
大事なのはこうした自分のミックス度の立ち位置(自己肯定を中心に〇%どっちよりか)を客観的に自己認識したり、それも踏まえて「やってやろうじゃないか」といった自己肯定感を持てば、FIREを先延ばしにすることもなく覚悟をもって判断できると思っています。
終わりに
ということで、FIRE後に経済的に太刀打ちできなくなれば、「経済が悪い、社会が悪い」と外部の責任探しをしてりせず、自分の力で乗り越えようとすると思います。
僕は具体的には最悪時の対処方法として覚悟していることを以下の記事に書いています。
もはやコントロールできないことを嘆くよりコントロールできることを喜んでやるぞといった自己肯定感(やればできる)といった覚悟でしかありませんが、それが案外心強いものです。
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