FIRE民が受ける批判に「税金や社会保障のタダ乗りだ!」があります。
サラリーマンからすると「資産があるのに納税せず公共サービスのタダ乗りをしながら呑気に暮らしやがって」という不満です。
実際、投資や労働などの利益や生活での支出など、必ずなんらかの税負担はあるわけで、労働収入にかかる税負担だけをもって不公平と受け止められても、これは社会の仕組みなのでどうこうできる問題でもありません。
そんな批判は建設的ではありませんし、批判の内容が的外れだと思うこともあるので、それを綴ります。
格差が広がる生きにくい社会
今の社会、サラリーマンの実質的な「手取り額」が減っているのは税負担がより重くのしかかっているのが根本的問題です。
そんな税による搾取があった上で、円安による物価高も重なり「株式相場は好調なのに生活が豊かになった実感がない」と行き場のない不満や怒りが生まれます。
結果、「サラリーマンvsFIRE民」といった対立に繋がり、それは今後も激化していく気がします。
サラリーマンの不満は理解できる一方で、そんな根本原因を踏まえて、噴出する不満に紐づく「感情論」に少し触れておきたいことがあります。
「FIREは税金タダ乗りだ」の2つの感情論
「公共サービスのタダ乗り」と感じる不満の裏に大きくは2つの感情があると思います。
1つ目は「資産をもちながら負担が少ない」という「不公平さ」です。
2つ目が「働くのは国民の義務だ、汗をかいて働いてこそ素晴らしい」といった義務や美徳に連動した「労働観」です。
ですがそんな不公平さも労働観も、少し角度を変えてみるべきことがあると思います。
不公平さは「負担」でみてあげたい
一般に、FIREするだけの資産額を築くまでの税負担はそこそこあると思います。
生涯の税負担額は家族構成や夫婦共働きかなど、さまざまな条件で変わりますが、ちなみに調べてみると「約2000万円」という負担額の試算結果がネットにありました。
仮にFIRE民の方が、短い期間ながらそれなりの資産を築いているならば、給与は累進課税で、投資の利益は源泉税で納税し、2000万円より負担が大きいかもしれません。
「FIRE=働いていない」という現況だけで「税金タダ乗りだ」というのもピンポイントすぎますし、そんな個人の努力(節約や投資リスクを背負って)で実現したことでもあるので「不公平」を唱えるのは、かなり可哀そうな気はします。
本人が背負ってきたであろうそれまでの負担や勇気も、多少は想像力をもって優しい目で見てあげればと思えてしまいます。
働く義務・美徳は多様性で受け止めたい
FIRE民が「生活に不自由はないから」と働かないでいることを「教育、勤労、納税は国民の三大義務だ」と批判する主張もあったりします。
そんな「義務」とはいえ労働をしないことに対して処罰は受けませんし、強制労働こそ逆に厳しい目を向けられます。
決して、怠けているということではありませんし、世の中、ますます生き方の「多様性」が認めらているなか、そこに「義務」を持ち出しても時代に逆行する気もします。
それって税金を搾取したい一派の主張のようにも見えます。
汗をかいて労働するのは正しいとか、投資で(汗もかかずに)儲けるのはけしからん、なんて超古いマインドが社会にまだ残っていたりもするのかもしれません。
世の中、いろいろな労働があって社会を支えているのは事実ですし、投資だって企業を通じた社会貢献をしているものでもあります。
なんてことも考えると、FIRE民だから特別に「社会に役立たない」ということでもないとは思います。
終わりに
とまあ、かなり感情論が渦巻く「危険水域」の話題を出してしまって気分を害した方がいるかもしれません。
僕が伝えたいのは、納税額で人間の価値が決まる訳でもなければ、労働の有無で価値が決まるわけでもありません。
どんな形であっても、人が幸福を求める活動を(反社会的や利己的でない限りは)批判するより応援する心を持てばいいのに!とは思います。
なので批判側も「いま納税をしていない」とのピンポイントで不満を募らせず別の角度からみてあげたり、批判される側も自分の信じる貢献を貫けばいいと思います。
ちなみに僕は先日の台湾地震の被害に寄付をしたばかりです。
寄付が偉いと言いたいわけじゃなくて、自分が誰かの幸せのために動ける側にいたいと思うだけで、ギスギスする世の中を感じる時は自分の信じることを拠り所にしたいとは思います。
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