FIRE後に「想像と違った」と感じた最大のギャップが「時間の余裕」です。
サラリーマンの頃は仕事ばかりの毎日です。
アーリーリタイアをすれば、そんな仕事時間が全て「自由時間」として手に入ります。
自由時間を手にした暁にはとことん「何もしない贅沢をしてやる」と思っていました。
それがサラリーマン脳ならではの「思い違い」であって、実際にリタイアするとこんな感覚にはならないという話を今日は綴ります。
FIREがもたらす余裕
FIREがもたらしてくれるものに2つの「余裕」があります。
それはFI(経済的自立)からくる「お金の余裕」と、RE(早期リタイア)からくる「時間の余裕」です。
こうした「お金x時間」という余裕があるとそこから「心」の余裕が生まれます。
心の余裕というのは、サラリーマンの頃には無いゆとりみたいなものです。
例えば、些細なことに気がつくもので、「たかが公園に咲いてる花」も綺麗に感じたり、困っている老人に優しくする余裕とか、そんな「FIREあるある」の変化につながります。
時間の余裕は特別
サラリーマンの頃に最も欲していたのは、そんな3つの余裕のなかでは「時間の余裕」でした。
時間の余裕だけはどうにもならなかったからです。
働きだした当初から、
・お金はない時間もさほどない(でも仕事のプレッシャーは少ないので心の余裕はあった)とか、
少し仕事に慣れてくると、
・お金の余裕はできてきたが時間の余裕がさらにない(おまけにプレッシャーで心の余裕も少ない)、
さらに仕事に慣れると、
・心の余裕(ストレスと上手につきあったり、仕事の優先順位や段取りを見通せたり、目標がぶれない等で周囲の影響を受けない心の余裕)はできるが、時間的な余裕は相変わらず無い、
といった経路をたどりました。
サラリーマンのどの時点でも「お金x時間x心」の全てに余裕が揃うことはなく、なかでも「時間」がいつも足かせになっていました。
FIRE後の願望
ということで、サラリーマン当時、FIRE後の願望としては「時間の余裕を貪りたい」として「リタイア後は何もしない贅沢をしてやるぞ!」と意気込んだものです。
なんとなく、ビーチリゾートに長期滞在をし、ぼーっとして脳が溶けるほどに怠惰になって、どこか90年代初頭のシティポップ(杉山清貴とかTUBEとか・・・)の音楽が勝手に流れる(古い・・・)時間です。
そんな世界です・・。↓
時間との向き合い方が変わる
ですが不思議なことに、「時間の余裕」をめがけて前のめりでリタイアダイブしても、脳が溶ける怠惰もせず、シティポップも聴こえてこない(かわりに都会の雑踏)のなかで生活を送っています。
なぜ時間的な余裕を貪る(むさぼる)ことをできない、いやしないのか、その理由を考えると少し悲しい気づきがあります。
お金と時間の違い
リタイア生活はやれ「目標」だ「KPI」だといった会社のプレッシャーやストレスの無い日々なのでそもそも心は平穏です。
「心の余裕」は一心同体で僕に密着してくれる、世に言う「可愛げある女子」です。
「お金の余裕」については、僕が暴れない(超浪費したりお金に傲慢にならない)限り、お金が勝手に離れていかない、世に言う「一途な女子」と似ています。
ですが「時間の余裕」は、何をしようが一方的に離れていく(時間を巻き戻せない)「片思いな女子」です。
つまり、そこそこ真面目で金銭感覚あるリタイア生活をすれば「心とお金」はついてきますが、「時間」はしっかり捕まえないといけません。
たとえ人生100年時代と言っても「人生の実質的な残り時間は限られている」というのがリタイア後(特に50代リタイア)の実感で現実です。
終わりに
サラリーマンの頃に夢見た「リタイア後の脳が溶ける怠惰」もしないのはそんな「時間」が有限だからです。
だって「お金」は育てれば利息や利益がついて増えることもありますし「心」だって自分の心の持ちようで余裕は作れます。
でも自分がどうしようとも「消費される一方」なのが「時間」です。
なので「脳が溶けるビーチリゾートライフ」よりも、サラリーマンの頃のように「成長しよう」とか「目標だ!」なんて”将来時点”を基準に今の時間を使うよりも、
「今の時間を今やりたいことを悔いなくやる」
みたいなシンプルなことを大切にしたいと思うようになってしまったのです。
という、時間に対するFIRE前と後の最大ギャップでした。
でも、そんなシンプルな人生になって良かったのかもしれません。
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