アーリーリタイアをする時には過小評価をしていたが、リタイア生活に入るととても大事だと実感するものがあります。
僕にとってそのトップ2が「お金」と「健康」です。
健康は、これが欠けるとせっかくのアーリーリタイア生活も制約がでてしまいます。
ただ、これはある程度高齢でリタイアした場合の問題に限定されます。
ですが「お金」は、年齢層に限らず課題となりうるものです。
リタイア時に過小評価をすると危ないと思う2つのうち、今回は「お金」について、僕の経験や感覚を綴りたいと思います。
リタイア前のお金に対する認識
リタイア前はお金の存在をやや軽視していました。
それは、リタイア後にお金の問題が出ても、
・いざとなれば節約すれば良い
・いざとなれば働けば良い
・いざとなればお金のかかならい趣味をすれば良い
・お金が幸せをもたらすものでもない
といった感じで対処策を持っていたからです。
要は、お金は幸福を作る直接的な材料でもなければ、減れば減ったでどうにでもなる、という考えです。
これはかなり甘い展望だったとリタイア後に思います。
リタイア後のお金の向き合い方
僕は完全リタイアだったのでリタイア後は働いていません。
また、リタイア生活では「縛られない自由」を大切にしているので、お金に対する向き合い方も変わってしまいました。
前述の項目に沿って実情を記載すると、
・いざとなれば節約すれば良い
→生活水準を下げたり、お金を気にして節約生活をする日々では、せっかく「自由で縛られないリタイア生活」ということを実現できなくなる(かなり個人的見解です)。
・いざとなれば働けば良い(投資も含めて)
→リタイア生活が馴染むと、とても「労働」に戻れなくなる。お金を気にして投資することでさえ「お金に縛られて自由が疎外された」と、お金とは距離を置きたいと思ってきた。
・いざとなればお金のかかならい趣味をすれば良い
→趣味をお金を理由に色分けしたり諦めたくない。年齢があがると、子供の頃とは違って物事に本気で熱中することが難しくなるので、たとえお金がかかる趣味でも、熱中できるものは大切にして制限なくやりたいと思う。
・お金が幸せをもたらすものでもない
→これは綺麗ごと。お金は幸せはもたらさないが「将来の不安」を無くしたり、上記の「いざのための対策」をやらなくて済む「身代わり」にもなる。
以上は僕のケースであって、そもそもセミリタイアをして社会と繋がっていたい人は労働時間を調整すれば良いかもしれません。
あるいは超質素節約が苦でないどころかゲーム的に楽しい人もいるかと思います。
リタイアのスタイルやその目的で感じ方は異なってくるとは思います。
それでもやはり「お金があって困ることはない」とは思います。
リタイア後にお金に関する想定外が起こる理由
こうした想定外がリタイア後に起こるのは、「自由」というものが実はとても脆い(もろい)と実感してくるからです。
リタイア後は少しでも労働をすることでも「時間的自由を損なう」と感じたり、投資をすることもそんなお金に拘る考え方から「精神的自由を損なう」と感じました。
そんな脆い自由を守るため、いろいろ対処を積み重ねたリタイア生活20カ月でもあります。
終わりに
こうして自分のリタイア生活を振り返ると「お金は過小評価してはいけない」と思った次第です。
なお、「お金さえあれば良い」とか「お金があればどうにでもなる」という多才な主役でもありません。
お金は必要なだけ適切に持ち、自由を保全する手段として、自由の身代わり(保険)として、自由にやりたいことをする原資として、お金は活躍すれば良いと思うのです。
つまりお金は人生での必要不可欠な「脇役」ゆえ、つい過小評価しがちなのだと思います。
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1 件のコメント:
サラリーマンだとどうしてもお月々お金が入ってくるので、たいしたことない。いつでも稼げると思ってしまう。
リタイアするとお金を得るむつかしさみたいなものも実感する。
唯一なんとかなっているのがインデックス投資だけだ。
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