2022年3月末にアーリーリタイアをしてから1年4か月が過ぎました。
心理的にはとても大きな変化が起きています。
ひと言で表現すると「リタイアした世界の住人」になった感じです。
リタイア1年経過の過去記事では「現役時代が遠い昔」でしたが、いまは「別の時空」という距離感です。
それだけ多くの変化が起き、自分も変わった証拠だと思います。
今回は、そんなアーリーリタイア後の変化や変遷を記します。
リタイア後の変化・変遷について
リタイア後を半年単位で表すと次のように変化変遷してきました。
最初の半年:新生活の基盤作り
リタイア後の各種手続きや、生活の立ち上げに関連する雑多なことをやることで結構な時間もエネルギーも使いました。
この時の目標は、リタイア生活基盤をしっかり作り上げる、といったことです。
半年~1年後:新生活を発展成長
生活基盤も立ち上がり、ようやく「やりたかったこと」を着手するようになりました。
あちこち旅行をしたり、興味ある新しいこと(資格、学校、スポーツ、趣味、交流)など、気持ちの思うまま、とりあえずは「やってみよう」と取り組みました。
この時は、新しいこと、興味あることを、お金の制約や好き嫌いの偏見をもたず、やれるだけやってみようとチャレンジした期間でした。
その目標は、実行することで、どういった心理的効果、経済的影響、社会との関係性ができるかを体感することでした。
1年後~いま:新生活への変革期
そんなチャレンジ期間で「どうも違う」「何か変だ」といった違和感を感じたら、それをとことん拾って突きつめて考えました。
これまでの「会社員時代」に染みついた常識も捨てながら、新しい指針、在り方、お金の管理方法から投資などを変革していったときです。
つまり目標は、「自由」というキーワードで、会社員時代とは対極の生き方をするように目いっぱい反対側へ思考も行動も振りきって何が開けるかを見出すことでした。
リタイア後の変化を求める理由
人間、元来は変化を好まず、現状維持をしたがります。
それゆえ、反対方向へ振り切るリタイア生活はかなりモチベーションが必要でした。
そのモチベーションとは、会社員時代は決して得られなかったもの(=自由)を取り返したいというものです。
30年以上、サラリーマン生活に染まり、家庭も持ち、典型的な生活をしてきました。
ずっと制限をかけ、追いやってきた「自由」を今はとことん追求することです。
それって、考えてみれば小学生の頃ぶりです。
何も制限も制約もない「広々した世界に生きてる」って小学生の頃の感覚を、いま再び体験するような感じです。
それをサラリーマン生活で染みついた思考や行動を変化させながら、自由なる感覚を取り戻すというのが、いまの日々のモチベーションです。
リタイア後の自由とは何か
リタイアをしてから感じる「自由」はいろいろあります。
経済的自由
当初は「先行きの経済不安がない」というのを「経済的自由」と捉えていました。
ですがなんだかんだ、投資をすれば株価の動きが気になり、またリタイア生活での資産額推移も気にします。
そんなお金に囚われているのは、経済的自由とはいえず、逆に「経済的に束縛されている」と思うようになりました。
それゆえ、投資活動そのものも断捨離(資産額や値動きを気にしないで済む)し、心の平穏を保つやり方を実行しました。
それで「経済的自由」が得られるのかは、いま、見守っています。
この関連記事はこちらです。
【金融資産分析】リタイア14ヵ月目のダメダメ体制露呈反省(2023年6月末時点)
時間的自由
同様に時間的自由もあります。
定年まで勤めればその後は「時間的自由」はできます。
それゆえ今は「アーリーリタイアで得た時間こそ特別の時間的自由だ」と思いました。
アーリーリタイアには賞味期限(=65歳の定年までの年数)があって、そんな賞味期限の間に「いかに、今しかできないこと」をするか、それが時間的自由の有効活用と思ったのです。
例えば、年老いてからはできないスポーツ、いつまで元気でいられるかわからない親への孝行等に時間をつぎ込むことです。
ですがそこに罠があります。
罠とは、つまり「賞味期限のある時間を上手に使おう」と思えば思うほど、そんな時間の使い方にかえって縛られるという矛盾です。
経済的自由も時間的自由も、自由を必要以上に追いかけると、かえってその「自由に囚われる」ことになり、結局「自由」を享受できないということです。
そこで行きついたのが、自由を損なわない生き方を実現するための「思考的自由」です。
その気がついた関連記事はこちらです。
思考的自由の重要性
思考的自由とは、これまでの常識やら習慣にとらわれずに自由に考えることです。
経済的自由と時間的自由は「その自由を求めるとかえって不自由になる」ので、「自由に対する欲」を制御することが必要です。
それが思考的自由です。
具体的には、投資を断捨離して経済的な拘りを捨てたり、アーリーリタイア賞味期限のうちに全部やり切ろうとしない、そんな「心の余裕を持たせる思考」です。
もし思考で制御しなければ、経済合理性を追求しまくり(資産から最大の利回りを得るような)、時間的効率を追求しまくる(時間を効率的に使って全てのやりたいことをやり尽くす)というのを、ブレーキを踏むような行為です。
そうした「非合理性」というスタンスをあえて取るには、思考に自由度がなければ舵を切れません。
もちろん、投資を一切しないのではなく、「安全性の高いポートフォリオを組みなおす」や「資産管理の透明性を上げる」などをしました。
時間的自由は、アーリーリタイアの賞味期限でやることはやるが、それ以外に「あえて何も予定のない時間を日常的に作る」ということです。
何も計画をしない日は、それはそれで、突拍子もないアイデアが浮かんだりします。
ちょとググってみていたコンテンツで、その写真の素晴らしさに感動し「ここに行こう!」というきっかけで調べたり旅行をするなどです。
新しく興味の湧くことにつながります。
終わりに
僕は完全リタイアで、仕事人生とリタイア人生の二毛作になってしまいました。
極端に仕事人生とリタイア人生を分けたので、仕事に使ったエネルギーと同じだけ、自由を得ようとスるエネルギーが生まれます。
それを例えると「振り子を左右(2つの人生)に大きく振れている」という感覚です。
そんなふり幅の大きい生き方が良いのかどうかはわかりませんが、今の時代はそんなふり幅をコントロールできる選択があるというのが沢山あります。
働きながらもワークライフバランスで自由を失わずに生きる方法も、その発展形でセミリタイアもあります。
選択肢があるのはいいことです。
今回はリタイアから1年4か月の「自由の探索」についての変化について綴りました。
また次なる1年で変化も起きるのだと思います。
皆さんにとって、この体験が何らかの気づきや参考になれば幸いです。
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