夫婦の価値観相違がセミリタイアを失敗させる-僕が離婚していなければFIRE失敗していたと戦慄した

2023-02-23

セミリタイア 人生 日常の雑記

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このところの春の陽気に平穏なリタイア生活・・。

現役時代の方には申しわけなくも、呑気に過ごしています。

が、そんな平和が一瞬に吹き飛んで戦慄が走った命題があります。

それは「もし今も離婚せずにいたら、妻の理解を得てアーリーリタイアをできていたか?」

余計なことを考えてしまい、背筋が凍る思いをしました。。。

結論をいえば、きっと「条件付き」でセミリタイアをしているでしょう。でもそれではセミリタイア成功とはとても言えません。

条件とは、たとえば支出費用の上限を決められる、自由時間の過ごし方で制限を受ける、お互い生活空間の非侵害協定を結ぶ・・・。

やはり独り身と夫婦では、セミリタイアを実現するハードルも違います。

今回、もし離婚していなかったら、きっと反対をされるであろう3つの点について書き出しました。

かなりリアルに想像できてしまう内容ですが、さっそく3つの点についてお話します。

経済的不安に対する折り合いのつけ方

まず最初は、経済的な問題です。

アーリーリタイアによって、明らかに「会社員という安定収入」を捨てることになります。当然、「経済的な見通しがしっかりあるのか?」と問われます。

当面の子供の教育費もさることながら、夫婦2人が老後を不自由なく生きていけるだけの経済基盤があるか?など、相当、厳しく問い詰められそうです。

僕がいくら100歳まで生活していけるだけの試算根拠を見せても、きっと「資産が減るのはそもそも不安だ」と言われそうです。

これは、お互いの金銭感覚の違いであり人生観の違いでもあります。

向こうは「お金を使わないまま死ぬ方が、死ぬ間際まで減り続けるのを見るよりもましだ」と、日々、質素な生活をしてでも、資産維持を目指す感じです。

一方で僕は「せっかくの人生なのだから、お金を使って何か素晴らしい体験をしよう」です。もちろん、余裕ある資産設計にはしますが。

こうした価値観の違いに折り合いをつけるには、お互いが歩み寄るしかありません。

僕が計画している「いろいろな体験」にかかる予算が削られ、支出の制限を受けることになるでしょう。そうすると、本来、望んでいるだけの「体験」をできないかもしれません。

その分、相手には「安心」というものが残るので、それが痛み分けになるのかと思います。

自由時間の増加に伴うお互いのストレス増加への対処

2つ目も、なかなか悩ましい問題です。

僕がリタイアをすることでサラリーマン時代よりも在宅時間が増えるとなると、「部屋が汚れる」「食事の準備が面倒だ」「自分がリラックスして過ごせない」といったことが出てきそうです。*僕も結構、綺麗好きなほうですが、元妻はそれを相当上回ります。。

僕が聴くノリノリの音楽は、相手には「騒音」と感じ、食事を作るのが面倒なら「僕が作る」というでしょうが「キッチンを使わないでくれ」と聖域を侵害されるのを嫌がるでしょう。*クラブミュージック以外にもちろんJazz方面の静かな曲も聴きますが・・・。

ましてはテレビを見ながらソファーで寝てしまっていたら「寝るなら布団で寝てくれ」と言われます。

こうした日々が続くと、お互いにストレスになります。僕にとっては会社のストレスが、リタイアすることで家庭のストレスを抱えます。

精神的な自由を手にすることが困難な気もします。

決して、元妻が悪いと言ってるのではありません。とてもきちんとしていて、僕は見習うところが多い存在でした。

ただ、どうも「人生の中途半端さに幸せを感じる」という僕の性分では「ソファーで寝落ちするのが幸せなんだ!」という気持ちがあっても、相手からすると「だったらしっかりベットで寝たほうがいいでしょう」となります。

相手も、僕の健康を気遣って、決して悪気ではなくそう言うはずです。(が、僕にはそれが通じないだけなのですが・・)。

こんな行き違いを解消するために、僕が提案しそうなのは、2重生活です。

つまり、僕は自分の住み家を別に作り、基本はそこで過ごす。そして週末だけ自宅に帰るといったものです。

こうすると、いまの独身でのセミリタイア生活とは違って、さらにリタイアの準備金が必要になってきたことでしょう。

まあ最終的にはお金が解決できる問題なのかもしれませんが・・・。

旅行三昧、スポーツ三昧で能天気な生き方への牽制

そして3つ目が、そもそもなんのためアーリーリタイアをするか?といった人生観に関わる点です。

僕にとっては「65歳とか70歳まで働いていては、それから健康寿命の間にやりたいことをやり切れない」「今まで頑張ってきたのだから、もうそろそろ存分にやりたいことをやりたい」という理由でリタイアを説明することになります。

相手からすると「別に働きながらでもできるでしょう」「やりたいことって遊ぶことでしょう」と感じるはずです。

これも、どっちが正しいといったものではなく、価値観の違いです。

僕にとって後悔のない人生は、やりたいことをやり尽くす人生です。でも相手にとっての後悔のない人生は「いま続く平穏な日々を崩さずに生き続ける人生」です。

つまりは、「死ぬときから逆算人生を描いて、やることを考える」という僕の帰納的な思考様式と、「いまを穏やかに生きる積み上げが幸せなる人生だ」という演繹的な積上げ人生が素晴らしいと思う相手の思考様式との違いです。

こうした生き方、人生観の違いがあり、これはどっちが正しいといったものではないのです。

折り合いをつけるとしたら、お互いの価値観をみとめたうえで、「不可侵条約」でも結ぶしかありません。

つまり「お互いがやることに口を出さない」ということです。

そうなると、パートナーとは何なのだ?という根本論、本質論になってしまいそうですが。

終わりに

今回は「もし離婚をしていなければ」という設定でアーリーリタイア生活がどう実現できたかを想像してみました。

あらためて夫婦の価値観の違いが大きかったなと強く思います。

お互いの生まれ育った環境も違うので、価値観が全く同じであることは稀です。

価値観が違うのは当たり前で、それを認め合うことが大切です。

とはいえ、いくら認めあったとしても、いざ解決策を講じるときに経済的な負担や理想を断念するなど、許容範囲を超える犠牲が伴うようではセミリタイア成功とは言えないですね。

と、ますますいま、自由なセミリタイア生活ができている有難みが身に染みた次第です。

結婚における価値観の違いをどう回避すべきだったかを書いた記事はこちらです。

結婚しないと不幸→結婚すると幸せか?に視座が変わる時代にこそ”夫婦幸せのU型曲線”


自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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