僕はFIREして、いまはアーリーリタイア生活をしています。
時間の自由を手に入れ、お金そのものよりも、その先にある好奇心や体験、自分のペースで生きることを大事にしています。
そんな僕とは、人生観も価値観もまるで正反対の人がいました。
それが父です。
父は、いわゆる昭和の猛烈サラリーマンでした。
しかもかなり豪快で濃いタイプです。
父にとって人生とは、成功すること、稼ぐこと、社会の中で存在感を示すことでした。
いわば「生涯現役」で最後まで仕事とお金の世界から降りない人でした。
今日はそんな「生涯現役の父とFIREした僕」という生き方の対比をもとに、僕のFIRE生活の価値観や心情を綴ります。
成功とお金を追い続けた人生
父は50代で大手企業を辞め、起業しました。
小さな商社でしたが、父にとっては「成功への挑戦」でした。
事業のためなら借金もいといませんでした。
金融機関からも、親戚からも、そして僕からもお金を借りました。
結果として会社は倒産し、父は自己破産します。
当時の僕は、その姿をどこか冷めた目で見ていました。
たとえば僕はこう言ったことがあります。
「オフィスを移転して家賃を下げれば、もう少し長く続けられる」
でも父は聞き入れませんでした。
それどころか「貴様はそんな発想だから器が小さいんだ!」と怒り出す始末です。
父にとっては、守りに入ること自体が敗北だったのでしょう。成功やお金を追い続けることが、父の中では人生そのものだったのだと思います。
僕にとっての父
だから僕は父のことを「尊敬する人です」とは言えません。
正直に言えば、「ムカつくオヤジだ」と思ってきました。
ただ、それで終わらないところが難しいところです。
父は、欲に対してとても正直な人でした。
成功したい。稼ぎたい。勝ちたい。
普通の人なら途中で怖くなったり、もっと別のものを優先したりします。
でも父は、80代で亡くなる直前まで、そこから降りませんでした。
その姿には、嫌悪もありました。
でも同時に、どこかで「この人はすごい」と感じる気持ちもあったのです。
破天荒で、厄介で、困った人でした。
けれど、欲を中途半端に誤魔化さない、その強さだけは本物でした。
父と僕の違い
そんな父を見ながら、僕はずっと「ああはなりたくない」と思ってきました。
成功のためにすべてを賭ける人生。
お金のために人間関係まで傷つける人生。
それは僕の望む生き方ではありません。
父は「もっと成功したい」と生きた人。
僕は「もっと自由でいたい」と生きようとしている人。
同じ親子でも、目指しているものはかなり違います。
そうした生き方の価値観は否定しません。
ですが、父は家族(母)に苦労をかけ、親戚や僕にも平気に借金をし、自分の欲求に突き進むことを何より優先した・・といことが、僕には受け入れがたい辛さです。
その反動からか、僕は「お金では買えないもの」に欲を持っています。
時間、好奇心、自由。
自分が納得できる生き方であり、自分の時間を自分で使うこととへの欲求です。
FIREという選択もその延長にあるのです。
終わりに
そんな「生涯現役で成功とお金を追い続ける父」と「早期リタイアで自由や好奇心を大事にする僕」は、価値観からみれば真逆の生き方です。
父をただ否定して終わることもできません。
父の生き方に対しては「嫌悪と憧れ」、「反発と影響」、「否定と理解」が混在しながらも、最終的には、父から「欲に正直に生きること」そのものは学んだからです。
父との対立はただの反発ではなく、今の僕のFIRE生活の輪郭をつくる土台にもなっています。
それもこれも、壮絶な経緯があったからだと、過去の記事に書いた通りです。
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