いまFIRE生活を送る僕ですが、子供のころは南米で生活をしていました。
そして最近、その南米生活とFIREは、大きな関連があると思っています。
今のFIRE生活で大事だと思うのは「好奇心」です。
それ早期リタイアして突然できたわけではなく、中高校生の頃の南米生活に芽がでたと思います。
現地では、治安も、学校文化も、人間関係も、大人たちの生き方も、まるで日本の常識とは違いました。
自分の常識は絶対ではなく、世界はとてつもなく広い。そんな感覚が生まれました。
今日は、南米生活での出来事を振り返り、価値観がどう書き換えられ、FIRE向きとなったのかを綴ります。
強盗に遭って知った「判断の重さ」
ある夜、僕は友人宅からの帰り道で強盗に遭いました。
夜も遅くなり、少しでも早く帰宅しようと、暗くて狭い近道を選びました。
現地では「人通りの少ない暗い夜道は絶対に歩くな」というのが日本人の間でも常識でした。
それでも当時の僕は、「まあ大丈夫だろう」と甘く見ていました。
すると暗闇から二人組の若い男が飛び出してきて、僕の腹に刃物を突きつけました。
「金を出せ」
抵抗する余地はなく、財布を抜き取られて終わりでした。
昼間は通れなくもありませんが、夜は危ないと言われている道です。
幸い命に関わることにはなりませんでしたが、そのとき頭に残ったのは恐怖より後悔でした。
これは完全に自分の判断ミスだ。
日本で聞く「自己責任」という言葉は、当時の僕にはどこか精神論のように聞こえていました。
でもこの出来事で気づきました。
どの道を歩くか。どの時間に帰るか。
その判断が、現実の命のリスクにつながることもある。
自己責任という言葉の意味を、少し現実的に理解した出来事でした。
学校で見た「個を尊重する文化」
学校でも、日本とはかなり違う光景がありました。
休み時間に人参を食べている生徒がいる。バスでは靴のまま椅子に足をかけて騒いでいる。
日本なら「行儀が悪い」と言われそうな場面です。
でもある日、朝の集会で生徒たちが騒いでいるとき、校長が壇上に立ちました。
その瞬間、誰もがおしゃべりを止め、すっと静かになります。
そこには「静かにしろ」という強制ではなく、話している人への自然な敬意がありました。
日本ではまるで逆で、マナーは良いが、朝の集会で先生が「静かにしなさい」といっても私語が止まりません。
何を尊重するかも違います。
それを、個人レベルで強く感じるのが「個を尊重する」です。
先生たちも、生徒の個性をよく見ています。
勉強が苦手でも、運動が得意な生徒やダンスが上手な生徒は、先生はその良い面をどんどん褒めます。
勉強でも数学だけが得意(他の教科は平均以下)でも、数学特別コース(上の学年と一緒)に入れて伸ばそうとします。
平均に合わせるより、その人の強みを伸ばすという考え方です。
生徒も自分の個性を認められ、自己肯定感も高まります。
大人たちの生き方が自由だった
もう一つ印象に残っているのが、現地の日本人サラリーマンの赴任者たちです。
会社をさぼってゴルフをしたり、日本食レストランの一角で麻雀をしたり。
そんな場所で高校生の僕らに気前よく奢ってくれたり、大人の面白い話を聞かせてくれました。
日本でイメージしていた「サラリーマン社会」とはずいぶん違っていました。
「日本に帰ると大変だ」とは言ってましたが、彼らはどこか楽しそうで、人生を味わっている感じがありました。
自分は自分、他人は他人。人生は楽しむものだ。
という空気もありました。
終わりに
こうした南米生活の経験を通して、僕の価値観は少しずつ変わっていきました。
自分の判断が結果を生むという感覚。
人はそれぞれ違っていいという感覚。
そして、人生はもっと楽しんでいいという感覚です。
同時に感じたのは世界は広いという感覚です。
自分の常識は絶対ではなく、自分の人生で世界のすべてを知り尽くすことはできない。
だからこそ、もっと知らない世界を見てみたい探求心や好奇心を持つようになりました。
海外生活は楽しいことばかりではなく、危険もあれば、環境に適応できず帰国したり不登校になった友人もいました。
僕はたまたま、環境の変化や常識の違いを面白がれる性格だったと思います。
FIRE総括としての振り返りとして、こうした幼少の経験で書き換えられた価値観が、「自分の選択と判断で生きる」というFIRE生活にしっくり馴染むのだと思います。
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