FIREをすると、「いつ、どこで、誰と、何をするか」を自分で決められる自由が増えます。
「好きなことができる」「嫌いなことをしなくてよい」。もちろん、それも自由の大きな価値です。
でもFIREから4年近く経って、僕自身が強く感じているのは少し違うことです。
自由になると余裕が生まれ、それまでなら見過ごしていた小さなきっかけを拾える。そして、そこから行動や経験が思いがけず広がっていく。
今日は、そんな「世界が広がる」という感覚を、一つのエピソードから綴ります。
小さなきっかけを拾った
早期リタイア後のある日、父の遺品整理をしていました。
すると、四国巡礼88箇所の納経帳が見つかりました。巡礼の途中で止まっているものでした。
サラリーマン時代の僕なら、深く考えずに処分していたかもしれません。
でも、そのときはなぜか手が止まり、スマホで四国巡礼について調べてみました。
そして、父に代わって残りの札所を巡ってみようと決めました。
想像していなかったところまで広がった
実際に巡ってみると、想像していたものとはかなり違いました。
単にお寺を回るだけではありません。真言宗の考え方や成り立ちを知り、インドから伝わった仏教が日本に根付いていく歴史にも興味が広がりました。
四国を巡るなかでは、自然や食に触れ、巡礼中の人と話し、新たな「行ってみたい場所」も見つかりました。
車でしまなみ海道を通ったときには、瀬戸内海に架かる橋を楽しそうに自転車で走る人たちが目に入りました。それをきっかけに、今度は自分でもサイクリング旅を企画して出かけました。
最初から計画していたわけではありません。
一つ経験すると、そこから次にやってみたいことが見つかる。 サイクリング、食、温泉など、実際に行ったからこそ生まれた次の旅がいくつもありました。
分岐点は、小さな選択だった
振り返れば、こうした広がりの始まりは、父の納経帳を「捨てなかった」という小さな選択でした。
サラリーマン時代の僕なら、遺品整理を早く終わらせることを優先して、そのまま処分していたかもしれません。仮に調べたとしても、「忙しいし、88箇所も回るのは大変だ」と諦めていた可能性が高いと思います。
そうなっていれば、四国巡礼も、その先のサイクリング旅もありません。
何かを失ったと感じることさえなく、最初から存在しなかった可能性として通り過ぎていたのでしょう。
終わりに
サラリーマン時代の自分の時間と、今の時間を比べると、こうした「広がり」には大きな違いを感じます。
違うのは、やっていることの大きさではありません。小さなきっかけを拾えることと、そこから次の経験へ進めることです。
父の納経帳を見つけたとき、四国巡礼からサイクリングや食、温泉へと経験が広がっていくとは想像もしていませんでした。
FIREで得た自由は、「好きなことをする時間」を増やしただけではありません。以前なら見過ごしていたものに立ち止まり、「ちょっとやってみよう」と動ける余裕も生みました。
そして実際に動いてみると、そこからまた新しい興味や経験が生まれていく。
僕にとっては、こうして自分の世界が少しずつ広がっていくことも、FIRE後に感じる幸福の一つであり、FIREをする究極のメリットでもあります。
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