FIREの決断というと、多くの人はまず経済的な実現性を考えます。
資産はいくらあるのか。どれくらい持つのか。
僕も当然、その点は考えていました。
ただ振り返ってみると、それだけでは決断には至りませんでした。
「できる」という状態と、「したい」と思えるかどうかは、少し違うものだったからです。
そんな「したい」という感情は、「卒業式」という出来事から生まれました。
今日はFIRE決断を後押することにつながったエピソードを綴ります。
「できる」と「したい」は違う
FIREの話はどうしても「できるかどうか」で語られます。
僕は40代後半で経済的自立をした時に、その条件を満たしていました。
それでもすぐに早期リタイアの決断に至らず、結局、僕は50代半ばでリタイアすることになりました。
40代後半の当時「まだやるべきことがある」という感覚があったからです。
仕事で取り掛かっていたプロジェクトを、途中で手放すのがもったいない、最後まで携わりたいという気持ちです。
だからやり切るまでは、早期リタイアは経済的にできても、心理的に「したい」という感覚は生まれなかったのです。
”してもいい”という感覚
そうした感覚は、子供が大学を卒業したタイミングで突然訪れました。
僕は離婚をしていましたが、親としてできることはきちんとやろうと思ってきました。
お金という面でも、進路という面でも、できる限りのサポートはしてきたつもりです。
コロナ禍だったので、子供の卒業式はリモートで参加してみました。
厳かな雰囲気の中で式が終わった瞬間、ふと「家庭の義務はやり切ったんだ」と実感しました。
解放感と、少しの寂しさ
すると、複雑な感情となります。
「子供が無事に卒業した」という安心感と解放感。そして同時に、少しの寂しさもありました。
家庭を作ると判断して生きてきたわけで、これまで当たり前に「親としての役割」をしてきました。
自分が独身を選べば、きっともっと自由で楽しい人生も送れたかもしれませんが、家庭を作る以上は、最後までやり切らないといけません。
その役割が終わると実感すると同時に、充実感と空虚さが湧いてきました。
自分の中の役割が変化し、「ああ、これで早期リタイアしても良いのだ」と思えました。
”したい”と変わった瞬間
卒業式も終わり、パソコンの前でぼーっと子供の成長の道筋を振り返ってみました。
よちよち歩きの段階から今に至るまで、病気になって心配したり、学校行事で楽しかったり、親として嬉しかったこともあります。
そんな子供がいまは社会に飛び立ち、新たな生活を切り開こうしています。
すると自分だけが感傷に浸って現状維持のままでいると「取り残されてしまう」という気がしてきました。
そして「自分も次に進んでみたい・・」という気持ちが急に強くなりました。
僕はそのから仕事もやり終えたタイミングとなり、1年後、早期リタイアをしました。
終わりに
FIREの決断は、数字や計算だけで決まるものではないと思います。
僕の場合、経済的な条件は整っても、それだけでは十分な理由になりませんでした。
子供の卒業式に参加し、自分の役割の終わりからくる嬉しさや寂しさを感じながら、子供が堂々と社会に出るのを見送る。
すると自分も「一歩踏み出そう」という気持ちが、自然に生まれたのです。
このFIRE決断は、経済的な理屈で「できる」というより、人生ステージの変化から「したい」という感覚で至ったものです。
こうした納得感ある判断ができたことは、恵まれていると思っています。
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