今日は、「年収・資産額・お金との距離感が、FIREを経てどう変わったか」について綴ります。
世間では今も、年収が高いほど優秀で、資産額が多いほど成功者だ、という価値観が根強くあります。
僕自身も、会社員時代はその軸の中で生きてきました。
けれど、リタイアして数年が経ち、資産を「増やす側」から「使う側」に立ったことで、その捉え方に変化が生まれています。
年収は勲章であり責任
サラリーマン時代、年収は会社からの評価であり、市場における自分の価値を数値化したものだと捉えていました。
年収が上がることは勲章が増える感覚がありましたし、その分だけ結果を出さなければならない責任も感じます。
年収は、他人との比較競争というより、自己評価と自己研鑽の指標だったと思います。
そもそも年収は、業界や会社、環境や運の影響も大きく、競争指標として絶対的なものではないからです。
資産額は「競争」というより「総和」
資産額は、同僚とも話題には出ませんでしたし、年収ほど可視化されるものではありません。
なので、資産額は、誰かに勝った証というより、給与、投資リスク、節約、生活の選択、そのすべての積み重ねの結果、という感覚でした。
だから僕にとって、資産額は「社会的評価」ではなく、「それまでの人生の総和」です。
この感覚があったから、離婚時の資産分与も自然な判断でした。家族との生活を通じて形成された資産を、自分だけの成果だとは思えなかったからです。
もし、資産が多いことが成功ならば、家族子供を持った僕は、家族子供に一切お金を使わずに資産を増やすことが成功になってしまいます。でもこれは変です。
資産の意味合いは属性によっても変わるものだと思います。
資産を切り崩すことへの違和感
FIRE後、資産を取り崩す生活に入ったとき、「過去の自分を削っているのではないか」という感覚はありました。
資産が努力や忍耐、リスクを取った判断の積み重ねだと思っている以上、減ることに痛みが伴うのは自然です。
ただ、その痛みが比較的少なかったのは、資産形成の方法が分散(株式、債券、保険、不動産、外貨・・)しており、運と実力の境界が曖昧だからだと思います。
仮に、株式投資1本で資産を大きく築いていたなら、そのスキルや才腕で築いた資産は自分自身そのもので、取り崩すのはもっと抵抗を感じていたかもしれません。
資産を使い切るのは正解か
そうした資産をリタイア後は使い切るべきだ、という考え方が世の中にあります。
けれど、使うこと自体を目的にしてしまうと、別の形でお金に支配されるとも感じます。
減るから使う、残ると損だから使う、という発想そのものは損得勘定ですし、働いて稼いだ時間や選択をサンクコスト化してしまうからです。
サンクコストになってしまうと、もはや資産を使うことで健全な価値を見出すことを阻害します。
終わりに
いまの僕が大切にしているのは、お金を「他の資産」に変換していく感覚です。
FIRE生活4年で大切にしたい資産は「健康、時間、人間関係、好奇心、体験、知識やスキル」だとし、これらにお金を投じることで、金額以上のリターンを人生全体で得たいと思っています。
資産を切り崩すのに少しばかり痛みがあっても、10年後、資産の減少分以上に積み上がったものがあるなら、それで良いという考えです。
FIRE5年目以降の第2ステージは、そうした人生全体への投資フェーズに本格的に入っていく計画でいます。
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