前回の記事で、僕は早期リタイアによって人生の可処分時間を増やし、残りの有限な人生の時間を「後悔ない生き方」に使いたいという考えを綴りました。
ただ、実際にFIRE生活を続けると、こうした後悔回避が強いゆえ見落としがちなことを体験しました。
今日はそうした「盲点」を整理します。
盲点1:健康が増えることで時間の量と質が増える
早期リタイアのメリットは、自由かつ健康に過ごせる可処分時間を前倒しで得られることだといえます。
これは想定内ですが、別の形で僕の可処分時間が量も質も増えました。
まず、量の面でいけば、ストレスのない生活と日常的な運動で健康度が向上するので、「健康に生きられる年数が伸びた」という実感を持ちます。
僕の場合、FIREから2年後には、人間ドックや血液検査、INBODYの数値(体脂肪率など)が良い方向に変化しましたし、リタイア後は健康管理に目を向けるので意識も高まります。
質の面でいけば、FIRE後の「眠ければ寝て、目が覚めたら起きる」という習慣によって、起きている時間の集中力が高く保たれ、1日の時間密度が濃くなりました。
FIRE後の生活習慣の変化は侮れないということを過去に記事にしましたが、今はそれを「人生の可処分時間の質的・量的な増加」と受け取っています。
こうして、健康に過ごせる可処分時間が、質・量ともに増えたことで、後悔しない人生にさらに大きな余裕を与えてくれるというのは気づきませんでした。
盲点2:行動量を最大化しても、体験の密度は最大化しない
後悔を避けようとするほど、「いまできることは、できるだけやっておきたい」という思考の罠に陥ります。
その結果として、行動量は確実に増えたと感じる一方で、見落としてしまうものがありました。それは「新たな発見をもたらす余白」です。
父親の遺品の「四国八十八箇所の納経帳」が未完成だったので、僕は約50か所ほどお寺を訪問し納経帳を完成さえることにしました。
旅行前に綿密に計画を立て、レンタカーで効率的にお寺を移動するルートを作り、短い日程で最大の結果を残そうとしました。
旅の途中、せっかく目に入った美しい景色や、歩いてみたいトレッキングコース、紅葉で染まる景色など、立ち止まって味わえば良かったものを切り捨ててしまいました。
行動量は最大化しても、体験の密度は高くなってはいません。「効率が悪く数を稼げないと後悔する」といった行き過ぎた「効率第1主義」が弊害となったわけですが、そこで感じたのは、「後悔回避は”やらなかった後悔”を防いでも、”味わわなかった後悔”までは自動的に防いでくれない」というズレです。
行き過ぎた後悔回避は弊害を生みます。
盲点3:「いまやらないと損か?」という問いが余白を奪う
後悔回避を徹底すると、判断基準は「これは、いまやらないと将来後悔するか?」に寄っていきます。この問い自体は合理的ですが、使いすぎると副作用もあります。
最近、旅に意図的な余白を残すようにしています。
先週、松山を訪れた際も予定は最低限にしました。
レンタカーで移動中、偶然見かけた人で賑わうパン屋が目に入り、わざわざ車を引き返して立ち寄ったのです。すると、ものすごくおいしいパンたちに出会えました。結果として、こうした「予想外」がその時間と味が旅の中ですごく記憶に残りました。
旅行の計画など、後悔しないように「行きたいところを全部行く」という詰め詰めの計画になりがちですが、そんな後悔回避を強く意識するほど、偶然を受け取る余白が狭くなります。
想定外の良さを生み出すためには、「後悔しない」と研ぎ澄まされた判断軸がかえってその可能性の芽をつぶしてしまうのです。
終わりに
後悔をしない日々を意識するほど、別の形の歪みが生まれることを経験しました。
それは判断軸が間違っていたのではなく、実践によって解像度が上がり、新しい地形が見えてきたということだと思っています。
後悔回避は人生を見落とすことなく進むうえで強力なエンジンになりますが、そのエンジン任せで道を走っていても、大切な景色は見落としてしまいます。
立ち止まって確認できる、そんなバランスも重要です。
次の記事では、これらの盲点を踏まえたうえで、人生で後悔しないためにFIREをした僕が、今後、このブログを終了してから、どのようなFIRE生活を過ごす計画を持っているかを綴ります。
