50代半ばでアーリーリタイアをして4年が経ちました。
同僚の多くが65歳まで働く一方で、無職である僕が手にしている最大の特権は、「体力・気力・好奇心がまだ十分に残っている状態での自由な時間」です。
ただ、その特権にも賞味期限があります。
次の4年間は、アーリーリタイアと呼べる最後のフェーズで、体力や集中力、好奇心といった資源も減り始めるでしょう。
だからこそ、その期間は「とりあえず楽しく過ごそう」では、時間は驚くほどあっさりと過ぎてしまう問題が生じます。
今日はアーリーリタイア後半戦の過ごし方について、時間・お金・体力・気力・好奇心といった有限資源を、何に、どう投じるのか、考えていることを綴ります。
お金だけが資源ではなくなった
会社員時代やFIRE直後、支出の判断基準はとてもシンプルでした。
安いか高いか。お得か損か。満足度が高いかどうか。
しかし、時間が完全に自由になった今、同じ基準でお金を使っていると、後から何も思い出せない体験が増えてきました。
楽しかったはずなのに印象が薄い。悪くはないけれど心に残っていない。
この違和感が僕にとっての転換点でした。
理由ははっきりしています。今、僕が使っているのはお金だけではないからです。
時間、体力、気力、好奇心。
これらはすべて有限で、同時に目減りしていく資源です。
にもかかわらず、「いくら払ったか」だけを尺度に判断していること自体が、すでに今のフェーズには合っていなかったのです。
旅は、もっともリターンの大きな「市場」
その気づきをもっとも象徴的に教えてくれたのが旅でした。
月に一度は旅行をしますが、貧乏旅行からときどき混ぜる贅沢な旅まで、どれも意味はあって満足度は高いものです。
けれど正直に言うと「何が一番印象に残ったか}」を思い出すのは大変です。
温泉に入り、どこでも似たような煮物、揚げ物、刺身が並び、「美味しかったね」で終わる。居心地はいいけれど、記憶には残らない旅も多かったりします。
一方で、強く覚えているのは想定外の出来事です。
たまたま入った店で驚くほど美味しい料理に出会ったときや、期待せず立ち寄った風景が、想像以上に心を揺さぶったときです。それは値段の問題ではありません。
こうした違いを振り返ると、旅という行為そのものは日本国内であれ海外であれ、外部の新しい情報や豊かさ(文化、食、人、価値観・・)を大量に取り込める場としてとても重要です。
しかも旅は、ホテル、移動手段、食事など、ある商品として価格が明確でコストが見えやすいからこそ、投じた資源と得られた体験を振り返りやすい面もあります。
想定内の満足だけで終わることもあれば、想定外の出来事が混ざった瞬間に、人生のストーリーが更新されることもあります。
限られた市場への投資もある
一方で、すべての投資先が、旅のように分かりやすい市場ではありません。
人間関係を深めること。誰かに貢献すること。それが家族への孝行であれ、過去に受けた恩への返礼であれ、これらは価格も成果も事前には見えません。
例えるなら、ベンチャー投資や個人へのエンジェル投資、あるいは想いに共感して参加するクラウドファンディングに近いかもしれません。
ただ、うまく育ったときのリターンは、とても個人的で、代替が効かないし、自分にしか得られない意味や手応えとして長く残ります。
アーリーリタイア後半戦では、この「大きく明確な市場」と「再現性の低い固有の投資」をどう組み合わせ、自分の「時間・お金・体力・好奇心」を投下して、何を得るかが重要になる気がします。
次の4年を、どう生きるか
総じて、アーリーリタイアは僕にとってゴールではなくフェーズの変化です。
最初の4年はもう2か月で終わり、次の後半戦は、「いくら使ったか」よりは、どの資源を使い、どんなリターンを残し、自分の人生を更新したか、が大事になります。
インスタ映えするる派手な体験を積み上げることや、誰かが「最高だった」と言っている体験をそのままなぞることは、他人基準で設計された投資であり、自分の資源制約を無視したまま市場に参加している状態にしかなりません。
僕にとって大事なのは記憶に残る体験で、違いを覚えていない体験は時間の浪費に近く、オリジナリティのない満足は消費されて終わります。
終わりに
アーリーリタイアの最後の賞味期限となる次の4年間。それは、定年まで働かずに得たこの自由時間と様々な資源をどう使い切るかを問われる最後の時期だと思います。
限られた時間、限られた体力、限られた好奇心。そのすべてを使って「楽しかったかどうか」だけではなく「何が残ったか」、「何が更新されたか」に注視したいというのが今の心境です。
もう少し時間はあるので、自分なりの投資配分を探していきます。
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