FIREをしてからほぼ4年が経ちました。
正直に言えば、最初の頃にあった強烈な ”解放感” はもうありません。
「もうずっと働かなくていいんだ」といった高揚感はすっかり日常に溶け込み、躍るような感情はなくなったからです。
それでも、ある特定の瞬間だけは今でも「自由だ」と感じます。
今日は、FIRE4年目のいまでも色あせない解放感たる自由を覚える場面について綴ります。
解放感は「消えた」のではなく「日常化した」
FIRE直後は、朝目覚めると「今日も仕事に行かなくてもいいんだ」と感じたり、日曜日の夜も「明日起きても仕事はない」といった解放感を味わいました。
しかし半年も経つとそれは当たり前になります。
そした段々と日常化してしまいます。
ただ、自由は失われたのではなく「自由があることが前提」になっただけで、それは空気のようなもので意識しなくなるのです。
それが、解放感を常時感じることのない、FIRE半年以降の感覚です。
解放感を感じる瞬間
そんな自由が当たり前の毎日でも、いまもある特定のシーンで解放感を実感します。
例えば、
① 平日午前、天気の良い日に街を歩くとき
平日の午前、天気の良い日に特に目的もなく街を歩いているとき、ふと思います。
「今日も、そして明日も、もうずっと働く必要はない」・・。
太陽を浴びながら、「時間に追われる理由が、今も今後ももない」と感じる瞬間は、「自由がずっと広がる未来」を感じて、強い解放感を覚えます。
② 会議中のサラリーマンを見かけたとき
平日の中に外出していて、たまにビルの窓越しに会議中のサラリーマンを見かけることがあります。
そのとき思うのは、優越感ではありません。
「自分はもう、こうしたシチュエーションの外にいるんだ」という静かな認識です。
会議という予定に縛られず、会議室の外で自由に気ままに散歩している自分が、改めて「自由のなかにいる」といった感覚を浮かび上がらせます。
③ 平日午前の、人が少ないジムにいるとき
平日の午前にジムへ行くと、人はまばらです。
見かけるのは主婦であったり、老齢の人が中心で、サラリーマン風の男性はいません。
この空間そのものが「サラリーマンがいない(いることができない)場所に自分はいる」といった、自分が属するのはFIREの世界だという認識となって、あらためて「自由になった」と感じます。
終わりに
FIRE直後は大きな解放感を味わい、それはいずれ慣れますが、決して消えてなくなるものではありません。
散歩に行ったり、ジムに行くなど、社会との接点で「制約のない日々を送っている」と認識する時、ふたたび解放感が現れます。
それは派手な感覚ではなく、静かで確かな感覚で、味わい深いものです。
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