アーリーリタイアできる資産がありながらも「この先、自分は成長しなくなるのではないか」といった不安で、FIREを躊躇する人がいます。
この感情は、怠けることへの恐怖ではありません。むしろ、FIRE後に多くの人が最初につまずく“典型的な罠”だと僕は感じています。
会社員時代に刷り込まれた「成長の定義」をリタイア生活に持ち込むことで「自分は成長もせずに取り残されている」と自己否定するからです。
今日はFIRE後の「成長」の捉え方について実感することを綴ります。
成長=前進という会社員的な刷り込み
会社員時代の成長は、とても分かりやすいものでした。
スキルを身につける、役割が増える、評価や年収が上がる。そこでは「目標に向かって努力している状態」だけが成長として可視化され、何もしていない時間は価値のないものとして扱われがちです。
この環境に長く身を置いてきた人ほど、リタイア後は「今日は何も進んでいない」という感覚を反射的に抱くようになります。
FIRE後に生まれる自己否定
FIRE後には、上司も評価も締切もありません。
一方で、自分の元同僚は働き続け、社会は相変わらず成果を語り続けます。
この対比のなかで、「自分は何も生み出していない」、「成長が止まっているのではないか」という感覚が湧いてきます。
これはFIREの失敗ではありません。
成果主義的な成長物差しを、無自覚のまま自由な時間に持ち込んだ結果、誰にでも起こりうる構造的な摩擦です。
FIRE後の成長する感覚とは
今の僕は、「成長していない」とはまったく感じていません。ただ、成長の形式が根本的に変わったのだと思っています。
会社員時代の成長は、特定のスキルや知識というゴールに向かうものでした。
一方でFIRE後の僕は、日々の生活のなかで興味を持ったものごと(歴史や文化、美術、趣味、生活の工夫)を、その時々の感性に従って掘り下げています。
それらは仕事とは直接関係のなかった分野であり、生涯、知識として役立つものです。
そこには到達目標はありませんが、昨日とは違う新しい視点を持ったりといったものを手に入れています。
この「視点の更新」こそが成長の骨格になるのです。
終わりに
FIRE後の成長は、「何ができるようになったか」ではなく、「どう見えるようになったか」に近いものです。
何もアウトプットしていない日でも、世界の見え方が少し変わっていれば、それは確かな変化です。
僕自身、この感覚に切り替わるまで、FIRE後の約1年ほどは「会社員時代の成長幻想」を引きずりました。
それを手放せたこと自体がFIRE後の最大の成長ではと、今は感じるようになっています。
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