奢るという行動は、サラリーマン時代とFIRE後ではまったく意味が異なります。
サラリーマン時代は「公平」という価値観が前提でしたが、FIRE後は「平等」が基本になります。
ただし共通しているのは、僕にとって奢りは単なる支払いではなく、人間関係への投資であり、感謝を伝える手段だということです。
今日は、その違いと共通点について綴ります。
サラリーマン時代の奢り~公平という前提
会社員の頃は正式の飲み会での費用負担は「役職に応じた負担」という暗黙のルールがありました。
役職、つまり給与に応じて負担額を変動させるのです。
これは気前の問題ではなく、収入や立場に応じて「公平」に負担する考え方です。
なお、上司が部下を個別に誘った場面では、上司が多めに出すか、あるいは全額奢るのが自然でした。
例えば2人で飲んで7,000円なら、上司が5,000円を出して「残りは頼むよ」と言うとか、あるいは「いつも頑張って支えてくれてありがとう」と上司が全額奢ります。
なので上司が誘っておきながら、支払となると割勘で、「3500円頼む」なんてこと(平等)はありません。
上下関係のあるサラリーマン社会としては「公平さ」が円滑の源という風潮がありました。
FIRE後の奢り~平等という前提
これがリタイア後の世界では状況が一変します。
周囲とは、上下関係や給与差がないフラットな人間関係が中心なので、奢りより割勘が多くなります。
その前提は等しく負担する「平等」が基本です。
もちろん「今日は僕が出すよ」と奢ることもありますが、それは立場に基づく義務ではなく、その場で感じた感謝や気持ちから生まれるものです。
例えば、友人が良い店を手配してくれたことへのお礼であるとか、お祝い事があったというケースです。
なので、奢る・奢られるという上下関係を持ち込まないフラットな人間関係を大事にする風潮があります。
もし、資産額や所得差を理由に一方が多く負担すると、対等な関係が崩れてしまうので割勘によって「対等な仲間同士で楽しむ」を続けたいからです。
共通するのは人間関係への投資
以上の通り、サラリーマン時代は「公平」、FIRE後は「平等」といった意識変化があります。
こうした基本スタンスがリタイアを境に変化しても、僕の中で一貫する点は「人間関係を良くするための投資」という考え方です。
サラリーマン時代に上司が「部下に奢って支配してやる」とか、部下が奢らずに「上司から可愛いがられていない」と感じたりもしなければ、リタイア後に友人仲間が「奢ることでマウント取ってやる」なんてことはありません。
大前提に、奢りとか割勘という支払形態そのものではなく、その背後にある「人間関係を大切にしたい」という気持ちがあるか否かが問われます。
もしそこに違和感があると、2度目3度目へとつながらなくなります。
終わりに
奢りか割勘かは、単なる支払い方法の違いではなく、立場や価値観を映す鏡のようなものです。
そうした価値観を映す形がサラリーマン時代には「公平」、FIRE後は「平等」という枠組みになっている気がします。
この、サラリーマン時代からFIRE後の違いから、「奢りや割勘」といった表面的なお金の支出負担より、本質として「お互いの人間関係を長く心地よく続けたい」といった思いがあるか否かが、とても大事だと思っています。
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