「投資は正しい、投機は危険だ」という言葉を、僕たちはよく耳にします。
確かに資産形成を目指す段階では投資が圧倒的に合理的ですし、僕もサラリーマン時代は長期投資を軸に資産を積み上げてきました。
しかし、FIREを実現した今、逆に「投機的な取り組み」に興味を持つようになりました。
今回はその理由を整理してお伝えします。
投資と投機の違い
投資は、長期的に価値が高まると信じられる対象に資金を投じ、時間を味方にリターンを得る行為です。
株式やインデックス投資などが典型例です。
一方、投機は短期的な値動きや不確実性を利用して、比較的早く成果を得ようとする行為です。
ギャンブルに近いと揶揄されることもあります。
重要なのは、両者は「正しい・間違っている」という道徳的区別ではなく、「時間軸」と「リスクの取り方」の違いにすぎないという点です。
サラリーマン時代は投資が合理的だった
僕が働いていた時期、投資は合理的でした。
日々の仕事に追われ、資産運用に多くの時間を割く余裕はありません。
だから、長期的に成長や価値が期待できる対象に資金を投じ、あとはじっと待つスタイルが生活に合っていたのです。
「投資は善」ではなく、「当時の生活に合った合理的な選択」と言えます。
日々の仕事や生活に集中しつつ、資産形成も両立できました。
FIRE後に投機が意味を持つ理由
では、FIRE生活を送る今、なぜ投機に関心が向くのでしょうか。
それは生活リズムと心理の変化によるものです。
自由な時間が増えると、「早く結果を見たい」、「挑戦の手応えを感じたい」という欲求が自然に生まれます。
長期投資は結果が出るまで待つ必要がありますが、投機は短期で成果を確認できるため、この欲求に応える手段になり得ます。
空き家リノベを投機的に楽しむ
僕がイメージする「投機」は、必ずしもお金を増やすことが目的ではありません。
長期的に価値を育てる投資とは異なり、短期間で不確実性を体験しながら結果を確かめる感覚の行動です。
例えば、今取り組んでいる「空き家のリノベ」がそれにあたります。
現役時代の僕だったら、時間も無ければDIYも苦手で、あまりにハードルが高すぎます。なので絶対に手を出さない案件です。
しかしFIRE後は時間も余裕もあり、なにより失敗も含めて経験として楽しめます。
そこで余剰資金を使いながら空き家の改造に挑戦し、「自分の好奇心に沿った改造を楽しみつつ、家の資産価値も上げる」というプロセスを実践しています。
結果がどうなるか分からない未知の領域だからこそ、作業そのものから得られる刺激や学びが大きく、短期的・投機的な要素を存分に楽しめるのです。
お金儲けが主目的ではなく、挑戦の過程そのものが価値になっています。もちろん価値向上させて高く売れれば、その結果に更に満足すると思います。
終わりに
投資は正義、投機は悪。そんな単純な見方は、資産形成期には役立ちますが、FIRE後の人生には窮屈です。
僕にとって投資は、サラリーマン時代の資産形成を支えた合理的手段でした。
今のFIRE生活でも投資(ほったらかし投資)は続けていますが、これに加え、投機的な活動で生活に彩りを加えています。
FIRE後の投機は、決して浪費ではなく「能動的に挑戦し、遊びながら学ぶ行為」として成立するからです。