ある記事で、「TODOリストをやめたら、追われる感覚から解放された」と紹介されていました。
TODOリストを「いつかやろう」と積み上げるとむしろストレスを生む。そうした気づきから、あえてリストを手放したという話です。
50代で「やめたらラクになった」習慣4つ。TODOリストがストレスだった
共感できる一方で、僕はFIRE後の生活において、リストをやめることの意味はさらに深いと感じています。
今日はこのテーマを、FIRE視点で考察してみたいと思います。
リストが「追われる感覚」を生む理由
サラリーマン時代は誰もがTODOリストに代表される「やるべきこと」に常に囲まれて生きています。
仕事の納期、会議の予定、家事や買い物リスト。
リストを作れば管理できるような気になって安心してしまったり、実際には「まだ終わっていないこと」の項目を眺めるたびに「まだ終わっていない」、「早く片づけないと」という焦りや負担が積み重なります。
リストは効率を生む一方で、同時に精神的な圧迫感をもたらします。
FIRE後は「追われるもの」が存在しない
FIRE生活に入ると、この状況が根本から変わります。
最大の変化は「誰かに管理されるタスク」がなくなることです。
上司から降ってくる期限付きの仕事はなく、日々の予定も自分の裁量で決められます。
それゆえTODOリストで自分を追い立てる必要自体がなくなります。
備忘録的なリストは作りますが、自分に拍車をかけたり追い込んだりするものは作らなくなりました。
目標を持たないことのメリットについて書いた記事はこちらです。
リストは「今の自分の枠」に閉じ込める
もう一つ大事なのは、リストの性質そのものです。
リストに書けることは、自分がいま思いついた範囲の「やるべきこと」や「欲しいもの」にすぎません。
しかし本当に価値のある体験や発想は、予定や思考の外側からふと訪れることが多いものです。
なので、リストを作ると、その外部からの偶然や広がりを受け取る「気づき」が鈍ったり、意識も外側に向きにくくなります。
言い換えれば、リストは「管理するツール」であると同時に、自分を小さなゴールに「封じ込んだり制約するツール」になりかねません。
FIRE後は「余白」が最大の資産
こうしたTODOリストに頼るリタイア生活は早々にやめ、そして月日が経つごとに様々な体験から「予定をぎゅうぎゅうに詰めない」ということも重視するようになりました。
つまり、余白を残すことです。
余白を持たすと、案外、その余白は「埋まらなくて無駄になる」とはならないものです。
それどころか、新たな体験からの気づきを得る「余裕」になったり、「もっと〇〇をやろう」と、大事なことに時間を割り当てられる「選択」ができたり、時に、偶然の出来事や出会いになぜかつながったりします。
TODOリストで管理しない仕事も生活も「ありえない」と思っていた自分の感覚は、リタイア後は大きく変化したとは思います。
終わりに
TODOリストをやめるという選択は、単に物欲やストレスを減らすだけではありません。
FIRE後の暮らしにおいては、それは「自分を再び追い込まない工夫」であり、「枠を超えた発想や偶然を受け入れる余白作り」でもあります。
僕にとってリストを手放すことは、自由の拡張に直結しています。
FIRE後の豊かさは、リストに縛られた効率化より、リストを持たない創造性を大事にしているので、リストを捨てる重要性や有効性は実感しています。
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