先日、「50代でやめたらラクになった習慣」を紹介する記事を目にしました。
記事以上に驚いたのが、コメント欄の厳しい意見です。
紹介されていたのは、「気の合う人とだけ会う」「他人との比較」「TODOリスト」「未来への不安」をやめること。どれも僕には納得できるものでした。
それに対し、「ただの放浪者だ」「後先を考えなくなっただけ」といった批判もありました。
今回は、その中でも特に気になった「気の合う人とだけつきあうことをやめる」について考えます。
記事の概要
元の記事はこちらです。
50代で「やめたらラクになった」習慣4つ。TODOリストがストレスだった
その1つが「気の合う人とだけ会うことをやめた」です。
年齢を重ねて「価値観が凝り固まった人」にならないよう、気の合う相手だけでなく、さまざまなタイプの人と交流するようになったそう。「違う価値観をもった人の気持ちも想像できる自分になりたい。仕事や趣味、学びの場でも、積極的に話しかけるようにしています」
僕からみると、これは「自分を縛っていた習慣を手放す」という試みに見えました。
「気の合う人とだけつきあう」をどう捉えるか
FIREすると、会社員時代の人間関係から離れることができます。
僕自身、上下関係や役割、評価を意識した付き合いから離れ、「気の合う人とだけ付き合えばいい」と考えるようになりました。
実際、心地よい関係を中心にすると、ストレスはかなり減りました。
ただ、この頃、「気の合う人だけに関係を絞って、本当にいいのだろうか」とも考えるようになりました。
会社員時代にはなかった人間関係の選択
会社員時代には、上司・部下や役職など、組織の中で生まれる人間関係が多くありました。
同じ会社のカルチャーや評価軸を共有する一方、自分とは異なる世代や経験、考え方を持つ人とも接します。
FIRE後は、そうした仕事上の役割から離れ、誰と付き合うかを自分で選べるようになりました。
これは大きな自由です。
しかし「気が合う人」だけに絞れば、異なる考え方に触れる機会まで減ってしまうのではないか。そんな懸念も感じるようになりました。
そこで、価値観や世代、生活スタイルの異なる人とも、以前より接してみようと意識するようになりました。実際、自分にはなかった視点に気づくことがあります。
「気の合わなさ」がもたらす気づき
もちろん、気が合わない相手との会話は面倒に感じることもあります。
それでも、そこで感じる「違和感」が、自分の考え方や判断基準を浮かび上がらせることがあります。
相手の考えを受け入れる必要はありません。異なる考え方に触れ、自分の判断基準を見直すきっかけになれば、それにも意味があります。
自分の軸を失わず、異なる人にも少し開いておく。
それくらいがよいのかもしれません。
終わりに
気の合う人と付き合うこと自体は、FIRE後の心地よさを支えてくれます。
僕自身、FIRE後は人間関係の「断捨離」を進め、無理に関係を維持しなくてもよいと考えていました。
家族や旧友、気心の知れた友人など、心地よい関係を中心に過ごすようになりました。それは快適な一方、ときどき「このままでいいのだろうか」という迷いもありました。
無理をしてまで付き合う必要はありません。ただ、自分から可能性まで閉じる必要もない。
人間関係を選べるのもFIREで得た自由です。その自由を「気の合う人だけ」に閉じるのか、違う人にも少し開いておくのか。それも自分で選ぶことなのだと思います。
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