FIREは、経済的自立によって、働かなくても生活できる状態のことを指します。
そのため、現役で働く人(かつての僕自身も含め)は、「FIRE=仕事をやめること」という側面を過大に評価しがちです。
確かに、日々の仕事にストレスを感じていればこそ、「働かなくてもいい」という状態に強い魅力を感じるのも自然な反応です。
ですが、FIRE生活がある程度長くなると、「仕事をやめること」よりも「働いてもいいし、働かなくてもいい」といった選択可能な状態、すなわち自分で選べる自由に、より大きな意味があったと思います。
今回は、この「働くことの選択肢を持つ」について考えてみます。
「働くしかない構造」の正体
多くの現役世代にとって、「働かないと生活ができない」という前提は絶対的です。
資産形成が途上であったり、住宅ローンや子どもの教育費がかさんでいたりと、「働かざるを得ない状態」は人生のある段階では当たり前のことです。
このような経済的制約があると、たとえ仕事が苦痛であっても、選択肢は「我慢する」か「別の仕事(会社)に変える」しかありません。
そして、「別の仕事(会社)に変える」こともリスクを伴うため、結果としてアクションを取れないまま過ごす人も多いのが現実です。
これは、まさに「不自由な選択の構造」です。
FIREがもたらすのは「選択の自由」
こうした構造から脱するための鍵が、経済的自立です。
一定の資産があることで、たとえば「今の職場が合わない」と感じたとき、退職や転職に踏み切る選択肢が現実味を帯びてきます。
また、「一度、立ち止まってみよう」、「いったん仕事から離れて、自分の時間を持ってみよう」といったことも現実的になります。
FIREでの経済的自立は「仕事をやめること」というより、むしろ「働かなくても良い」という立場に身を置き、改めて「働くかどうかを自分で選ぶ」という自由を手にすることといえます。
選択肢があることの心理的メリット
この「選択肢がある」という状態が、人間の心にどれだけ大きな影響を与えるかは、実際にその状態になると驚くほどに実感できます。
(仕事というよりも)人間関係や職場が嫌だと思う人にとって、「いつ辞めてもいいんだ」という働かない選択肢があると、その「嫌な加減」への耐性が生まれるかもしれません。
仕事そのものが嫌だという人も、仕事への評価や「成果を出さなくては」というプレッシャーで嫌な気持ちになるのなら、「いつ辞めてもいいんだ」という働かない選択肢があると、そうしたプレッシャーは減ってくるでしょう。
このように、辞める選択肢があってながら、それでも働き続けるという選択をすれば、それは自己決定による労働へと変わるので、心の持ち方も日々の行動も余裕が生まれます。
FI(経済的自立)後の働く意味
僕自身、FI(経済的自立)を達成後、「もう働かなくてもいい」という状況になったにも関わらず、「それでも働いてみたい」と思いました。
それまでは、仕事をする以上は、「評価される仕事をしなければいけない」といった思いで、自分の思うような仕事を100%実施することはできていません。
ですがFI達成後に「働いても良いし、働かなくても良い」と思うと、その時点では(40代と若かったせいか?)「リタイアして好きなことをやるより、乗りかかった仕事(案件)をあと数年間でやり遂げたほうが楽しそう」と思ったのです。
結果、経済的自立を達成した40代後半から数年間、納得するまで働き続け、50代半ば過ぎで早期リタイア(といっても遅いですが)をしました。
終わりに
FIREのFI(経済的自立)を達成すると、意外と「仕事を辞めること」のメリットが霞んでしまうのだと思います。
経済的自立によって「働いても良いし、働かなくても良い」という選択肢ができると、心の余裕や精神的な耐性が生まれ、人間関係や仕事そのものが嫌でも、それを受け入れるようになったり、評価や出世を気にせずに自分の納得ある仕事をしたいと思う人もでてきます。
つまり、FIREのFI(経済的自立)を達成すると、それまでの仕事ストレスゆえの「FIRE=仕事を辞めること」というバイアスも減り、本当にやりたいことが見えやすくなります。
そのうえで、「働く、働かない」のどちらを選んでも、「選択肢を持って、自分の意志で未来を選んだ」という感覚が、人生の主導権を実感でき、後悔する確率も減るのだと思います。
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