最近、「FIREは危険。労働こそ最もリスクが低く確実な貯蓄手段だ」とする記事を読みました。
そこでの批判ポイントは「1億円を貯めるのに30~40年かかる」、「数千万円でFIREしても投資だけでは生活できない」、そのうえで「労働は最もリスクが低く、確実に資産を生み出せる」と、そんな労働を推奨しています。
一見、労働の重要性を説く合理的な主張に思えますが、労働(人的資本)への過度な依存にはリスクが伴います。
また、FIREは仕事を完全リタイアするだけではない(セミリタイアもある)点も考慮されていません。
今日はこの記事に関する所感を綴ります。
「労働こそ最強の投資」論の問題点
記事において、労働を推奨する理由として、
体や頭脳という資本を投じて賃金を得る「労働」も、広い意味の投資であることを忘れてはいけません。しかも、これはどんな金融商品よりも高い利回りで運用できます。約40年で3億~4億円もの「資産所得」を低リスクで確実に生み出せる金融商品は、労働以外にはまず存在しません。さきほどもいいましたが、これは金融資産にしたら1億円以上の価値があるといえます。
1億円ないならFIREは危険! 資産4000万円でも破綻する恐ろしい現実
労働のリスク
しかし、労働にもリスクがあります。それは、時間の拘束、ストレス、健康リスクといったものです。
労働からの報酬リスク
さらに、「40年間で3~4億円を稼げる」とありますが、これは総収入です。税金・社会保険料・生活費などによるマイナスがあるので、実質的な手取額はそこまで多くはなりません。
労働(人的資本)への過剰な期待
また、労働市場は不確実です。
AIや自動化の進展で仕事が無くなったり、企業の倒産リスク、リストラ、業界の衰退もあります。こうした労働市場の変化は個人の努力ではコントロールできないものです。
つまり、「労働は安定した収入源」と思い込むこと自体が「リスク」であるという前提は無視されている気がします。
FIREの多様な形を考慮すべき
筆者は「1億円ないとFIREは危険」としていますが、FIREの実現方法は多様です。
コーストFIRE、バリスタFIRE、リーンFIRE、ファットFIREなど、それぞれ経済的な状況によってFIREの実現方法も複数あります。
必ずしも「FIRE=全く働かない前提」ではなく、その中間解として、労働と投資のバランスを取って「労働時間を減らしつつ自由な時間を増やす多様な選択肢」があるわけです。
最適な資産ポートフォリオの考え方
こうしたFIREの多様性を考えると、次の点が違和感となります。
「FIRE vs 労働」の対立構造ではない
「FIRE=働かない手段」というよりも「FIRE=自由な時間を持つこと」が目的でもあります。
働かない手段としてFIREを捉えると「FIREをするか、さもなくば労働か」という二者択一の関係に見えてしまいます。
ですが「FIREは自由を得る手段」と考えると「投資(金融資産)と労働(人的資産)を自分最適に配分し、少しでも自由な時間を得ることだ」、という捉え方もできます。
フェーズごとに最適な戦略をとる
さらに言えば、金融資産と人的資産を人生ステージでどう配分調整するかが最適なアプローチだと思います。
人によって好きな配分はあるわけで、僕が結果的に選択したのは、
・20代〜30代中盤 → 人的資産:金融資産 = 90:10
*まずは人的資本(仕事)に集中し収入増を目指した。
・30代中盤~40代 → 人的資産:金融資産 = 50:50
*仕事だけではなく投資にも積極的に時間を割いた
・50代(FIRE以降) → 人的資産:金融資産 = 0:100
*仕事は完全に辞めた
となりました。
ライフステージに応じた人的資産と金融資産のバランスは可能です。
終わりに
以上、記事にある「FIREは危険だから労働がベスト」という単純な結論でもないと思います。
・FIREの多様な実現方法(リーンFIRE等のセミリタイア)が考慮されていない、
・労働のリスク(時間の拘束、ストレス、健康リスクなど)が過小評価されている、
・人生のステージで労働(人的資産)と金融資産(投資)は比率を変えるのが妥当
と感じるからです。
本当の問題は「労働偏重」や「投資偏重」で、やはりバランスが大事だと思います。
人的資本を最大限活用して給与収入を得つつ、ライフステージに応じて投資割合も調整し、結果、「人的資本の価値が下がる前に金融資本を育てる」がポイントだと思います。
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