結婚もFIREもライフイベントとしては重大な決断になります。
そんな決断では「人間性」が出るものです。
振り返ると僕にとって両者(結婚とFIRE)は共通した判断方法をしていました。
それは「タイミングに従う」というやり方です。
自分を取り巻く環境変化に従って合理的判断をしたわけです。
そんな「果敢さに欠けた痛いやり方」をした状況を今日は綴ります。
タイミングに従った決断とは
タイミングに従った決断とは、状況や環境に応じて最も適切だと思う方向に舵取りする判断です。
例えば投資は、経済情勢、為替、金利、市場や経営環境など多様な外部要因が影響するので、そうした状況が出揃った「タイミング」を重視します。
では結婚や早期リタイアはどうか?
もちろん、自分を取り巻く外部環境(仕事、家庭環境、年齢、人生設計など)をもって判断する側面はあります。
ですが投資と違って「自分が歩む道」ゆえ多少の外部環境が十分に揃ってなくても自分で決めて猛進できるはずです。
それをせず外部環境に応じて判断するやり方を僕は取ったのです。
結婚の判断
例えば結婚をした年齢はやや早いと思っています。
当時27歳だったわけですが、今から30年以上前の時代でもこの年齢は少し早いものです。
そうなったのは「転勤」があったからです。
国外への異動で「5~7年は戻れないと腹を括って行ってこい」と部長に言われました。
すると「30代半ばに帰国して相手を探して結婚するなんて遅すぎだ」と思い、今がタイミングだと判断してしまったわけです。
異動がなければきっとノホホンとした日々を送っていたでしょう。
僕にとって結婚は、100%、タイミング任せという勇ましさのかけらもない判断でした。
FIREの判断
早期リタイアも結婚と同様に大きな判断です。
まずFI(経済的自立)が前提となります。
僕の場合は40代後半で経済的自立は達成していました。
それでも片道切符のリタイアとなるのを前提にしていたので「後悔だけはしたくない」と、そこからずるずると50代半ばまで働いてしまいました。
その50代半ばにちょうど3つの「物事」のタイミングが揃ったのです。
それは、①家庭の責任終了、②仕事のけじめ終了、③異動、です。
家庭の責任終了
下の子が大学卒業して社会人になる時は「家庭の責任を全うした」と感じました。
離婚後の8年ほどずっと養育費を送り続け、また子供とも接点を持ちながら精神的支えもしていました。
そうした時期も過ぎて社会人として巣立ってくれた時は「全て義務は果たし終えた」と感じたのです。
まあ実を言うとちょっぴり寂しい気持ちもして「自分も巣立ちたい」とリタイアを思い浮かべたわけです。
仕事のけじめ終了
仕事も運よく任されていた長期プロジェクトが7年を経てようやく形になってきた頃でした。
自分の会社人生の最後の仕事と思ってやってきたので、限られた能力ではありますが全力を出し切ったとは思います。
まあ率直なところ、もうこれ以上何もでないし、プロジェクトの形も見えたから十分だと、そんな能力の限界までやり切った感やら、形を創る新鮮さも失せたタイミングでした。
そして身を引こう(会社にもこれ以上の貢献は限界だ)との思いになったのです。
これも一応は自分なりの流儀ではありますが・・。
異動のタイミング
そんな状況で2022年3月に帰国異動となる内示を受けた時は「これぞ会社生活撤退タイミングだ」と仕事を辞めることを即座に決断しました。
コロナ禍も終焉し社会もニューノーマルという潮目の変化だったことも丁度良いと思いました。
完全コロナ禍なら働き続けたかもしれません。
以上のリタイア判断は自己紹介を兼ねて当初に記事化しました。
終わりに
以上、僕にとって結婚もFIREも外的タイミングで判断しただけです。
何ら自分の「積極的コミット」なんて欠片もないのです。
まあそれは「状況」も大きいのだと思います。
状況とは、例えば結婚であれば「大好きでしょうがない」となれば外的要因はそっちのけで結婚したでしょうし、あるいは「辞めたくてしょうがない」となれば即刻リタイアしたと思います。
そう考えると自分の判断は「直感より論理」、「感情より冷静」、「リスク志向より保守志向」が特徴で、そうした自然な判断に至るぐらい何ら追い詰められていない(安定した)生活状況だったことに感謝すべきと思います。
自分が果敢に判断していたならドラマティックでカッコ良いのですが、まあこれが現実ですよね、人生は。
そんな判断方法について恥ずかしながら綴ることで皆さまの重大な決断での参考になれば幸いです。
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