サラリーマンを辞めると多くの「不自由」が無くなります。
疲労のなかでの定時出社、必要な時に休暇も取りずらく、一方的に仕事の目標やノルマを受け入れ、気の乗らない飲み会も参加が必須。
そんな不自由はリタイアと共に消失し「自由意思」を突き通せるのがリタイア生活です。
ところが自由意思で生活できるにも関わらず、自由があるゆえ不自由になることもあります。
今日はリタイア生活で痛感したそんな自由のなかの不自由として、①選択肢がありすぎる、②情報過多すぎる、③習慣もストレスになる、を綴ります。
選択肢がありすぎる不自由
自分の時間に柔軟性があるのであらゆる場面で選択肢が増えます。
例えば旅行1つとってもリタイア後は行く先の選択が多様に広がります。
サラリーマンの頃は取得できる休暇に制限があるので、その休暇ありきで計画を立てていました。
例えば週末に平日1日の休みで合計3日を取らると、飛行機なら3時間以内で行ける近い場所で、その時点の季節や気分で候補はかなり絞られます。
フライトからホテルまでリーゾナブルな費用で予約が取れるとなるとまた選択は狭まります。
ですがリタイア後は必ずしも日程ありきではないので、「〇〇に行きたい」と考えて調べ出すと「あと1日追加して〇〇も周ろう」と別案がどんどん浮かんだりします。
こうして何日間、どこを周遊し、どう過ごすか、選択できる組み合わせが増えてしまい、結局、疲れ果てて判断せずに終わってしまうこともあります。
選択肢が少なすぎるのも問題ですが、時間に柔軟性がありすぎて選択肢が多くできすぎるのも問題だったりするわけです。
情報過多すぎる不自由
また、日数と目的地が決まっても宿泊先だけでも検索地獄にはまってしまいます。
SNSや予約サイトの充実で、ホテルを選ぶだけでも個人のレビュー結果など参考になる情報に溢れています。
便利な一方、決めようとしているホテルについて一部の手厳しい投稿があると「この投稿の通りだと嫌だな・・本当かな?」と思いながら、投稿者のコメントが本当に信用できるかを、その人の別のコメントもみながら発言を考えたりします。
ホテルを決めても複数の予約サイトで値段比較をするので、それこそ一休、楽天、じゃらん、AGODA、EXPEDIA、ホテルの公式サイト等で比べてしまいます。
ネットには情報が豊富にあるのはメリットですが、際限なく調べ出して労力を費やすという自分縛りの不自由さにつながったります。
習慣がストレスになる不自由
また、リタイア生活は1日24時間の使い方が自由であるがゆえに「習慣」がストレスになることもあります。
僕の場合は必ずしも習慣を規則的な時間に取り掛かることはしていません。
その時の気分や体調、予定によって順序やタイミングは変わります。
ちなみに習慣とは、①毎日ジムに行く、②毎日手料理をする、③毎日ブログを書く、④毎日(順番に)掃除をする、などがありますが、決まった時間などは気にせず、その日のやりたいときに「自由」にやるようにしています。
すると時には習慣がずれ込んで「面倒だな」なんて思ったりします。
真夜中12時からジムに行ったり、ブログ記事を書いたりするときは、「ああ、やらなくちゃ」といったストレスも感じながら実施することもあります。
どうも「毎日やる」という自分ルールに縛られ「不自由」を感じているわけです。
終わりに
以上、不自由と感じる3つは、①選択肢がありすぎる、②情報過多すぎる、③習慣がストレスで不自由、を取り上げました。
リタイア生活で時間的な自由があるゆえの、その表裏一体で感じる不自由問題なので、贅沢な悩みと言えばその通りです。
自由ゆえ統制が取れずに効率が下がるのも、効率を上げるため不自由を甘受するのも、極端は良くなくて、やはり大事なのは「ほど良い中庸」なのでしょう。
自由でバランスある中庸生活には良い意味で「諦める力」もコツかなと最近思います。
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