今回は新NISAの話題ながらそれは資産をどう作るかのトピックではなく「長期的な投資展望で留意すべきリスク」の話です。
金融投資を進めたり個人資産を防衛するうえで最大のリスクと思われるものが昨今の「新NISAに関わる動き」より推測しています。
結論からいうとそれは「資産税」です。
これは個人的見解(妄想)ではありますが、そもそも増税したい政府が突如、新NISAで非課税枠1800万円という大盤振る舞いをするのは不自然なわけで、そこにある「影」や潜むシナリオを読んで、今後の10年スパンのリスク対処をしています。
あくまでも個人的見解という頭の中にある解釈ですので人によって不快とか合意できないと思われることもあるかもしれませんが、その前提でご興味があればどうぞご一読願います。
なお、資産税の懸念はこれまでも記事に書いてきています。
新NISAの矛盾と利害相反構造
新NISAは画期的で世間はその活用や資産形成といった「HOW」という「光」に目が行きがちですが、一方で「なぜ1800万円もの枠が与えられたか」の「WHY」という「影」はさほど注視されていません。
でもそこにこそFIRE民(FIREめざす人含む)が留意すべき「資産税」のシナリオが隠されていると思っています。
そもそも金融資産(株式売買や配当金)の非課税枠が増えると、政府は徴収できる税が減るわけです。
それって「増税メガネ」で代表され各方面でのもっと税負担をさせたい潮流からすると「なぜ新NISAに限って税収を減らす大サービスをしてまで導入したのか」は腑に落ちないわけです。
それを皆さまはどうお考えで、どう解釈されていますか?ということです。
僕はそれをこの過去5年の歴史から振り返ってあらためて「辻褄が合う」と感じています。
投資による自助努力と税収構造の転換
そもそも高齢化社会や少子化問題の懸念は90年代から言われ続け、国もそれを放置し続け、時流は「自国優先」として経済・政治圏のブロック化で必然的に防衛費も増額が不可欠です。
そんな政府にとっての予算の確保が頭痛の種となるなかなるべく課税はするけど苦しい分は「国民自ら経済的に豊かになるように自助努力してほしい」と思ってきたわけです。
それは「投資をして資産を作れ」ということです。
それは5年前に遡って動きが具体化しています。
・2019年、金融庁発表の「老後30年間で約2000万円が不足する」とのいわゆる「老後2000万円問題」が不発に終わり、狙いであった「年金不足分は個人が投資で自助努力して稼げ」が空振りした、
・2020年からのコロナ禍で新たな支出(ワクチンから補助金等)で財源は更に必要だ、
・サラリーマンの税額は限界までかけたがもはやこれ以上は疲弊させすぎで無理、
・かといって消費税を上げると政権転覆リスクがあるので無理(与党の支持率では耐えられない)、
といった経緯のなかでこの2年前から神風が吹いたわけです。
それは、
・円安、資材・エネルギー高などのコストプッシュでインフレが発生し、国民は豊かさを感じることなく物価だけがあがる「家計の逆風」にさらされた、
・それゆえ誰もが「置いておいても減りゆく資産を守らないと実質価値が減ってヤバい」と投資に関心を持ち始めた、
というわけです。
つまりそんな順風にのって投資熱を高めようともくろんだのが新NISAなわけです。
もちろんお金を放出されるため新札だって発行してタンス預金を投資にもっていかせたかったり、マインナンバーで銀行と個人を紐づけてだんだんと金融資産や不動産なども個人の所有実態を明らかにし易くなるわけです。
金融庁が失敗に終わった「老後2000万円問題」の仕掛けを改めて国として仕切り直し、そんな「ムチ」でびびらす2000万円問題から、今回は「アメ」として「新NISAで1800万円非課税枠」を微妙な関係の財務省とも組んで持ち込んだわけです。
まさに5年ぶりの「自助努力」の実現に向けた再チャレンジなるものが新NISAです。
*これは個人的見解という前提ですので改めてご留意願います
新NISAから課税する方策
当初の金融庁の仕掛けは「老後2000万円問題」として失敗したわけですが、財務省としても国民が自助努力で資産形成することには、基本、賛成で、うまく投資に火をつけたいわけです。
ただし財務省は国税の制度変更を(都合よく)設計し、税金を取るミッションなわけで、そんな立場にとって金融庁の新NISAは、その非課税枠の大きさから本来は「目の上のたんこぶ」なわけです。
とはいえサラリーマンの所得税や消費税などは財源として余白がないなか、スイートスポットとなるのは高齢者です。
高齢者は勤労世代をはるかに上回る資産(金融資産の4割近くが70歳以上の高齢者世帯が保有)を持っていて、その世帯に循環せずに「たまっているお金」を吐き出させながら課税できる方法は、そもそも投資に積極的リスクを取らない高齢者には「相続税」という形になるわけです。
仮に新NISAで1800万円を運用しそれが30年後1億円となっても、ルール上、1億円には税金はかかりません。
ですが、それをFIRE的に「取り崩す」としていたとして、DieWithZeroとはならずに途中に死亡してしまうと、その死亡時点の資産評価額は非課税ながら、それが満額そのまま「遺産相続の原資」として相続人に渡る資産移転で「相続税」として課税できるわけです。
つまり政府としては、
・個人の資産運用が上手くいけば、それはそれで資産の移転時(相続時)に課税できる原資が大きくておいしい
・そこでの課税は(あまりこういう言い方は不謹慎ですが)「〇〇〇(4人)にクチナシ」ともなり誰もが文句を言わず、損をせず、政府として一番おいしく頂ける、
→「頂き女子」なる「頂き国家」なわけで。。。
・少子化の将来、相続人の数が少なく結果として相続控除額も少なくなるゆえ課税対象額が大きい(税額も大きい)というメリットを社会構造がますます押し上げる、
・資産運用が上手くいかなくて譲渡益が無ければ新NISAだろうが特定口座だろうが税金徴収はないからそもそも「取り漏れ」という負けはない、
とかなり「高齢化社会」には即した「シブい囲い込み方」になるわけです。
高齢者のなかの潤う人が、若い人および経済的に苦しい高齢者に「富を公平に再分配する」という税制の本来目的には、もはや年金制度も社会構造も変えようがないなかでの正論であり流れとして「受け入れられやすい」のでしょう。
だって高齢者の潤う人は発言権(投票権)としてもマイノリティーなわけで、そこをいじめても与党側も困らない、そんな与党と省庁の足並みがそろう条件が揃っているわけです。
終わりに
少し複雑な内容ゆえ上手く伝わるかわかりませんが、僕が申し上げたいのは、どうもそうした「美味しい話(新NISA)」には裏があるはずで「警戒しよう」ということと、まあそこから逃げるに逃げられないのなら「覚悟しよう」ということです。
もちろん僕自身、だからといって新NISAは目いっぱい使いますし、その結果、政府の思惑に乗って払うものが多くても、お金が残って相続に課税されても、それは最後は致し方ないと考えています。まあその前に寄付だってできるわけですし。
金融庁と財務省の握りだってあっておかしくないと思えるわけですし、これからは「高齢者x資産家」が狙われる時代においては、少なからずFIREをして金融資産を原資に生きていく人には無知でいられない「影」がここにあるのです。
暑さのせいでこんな妄想ばかりしていますが、今回はこの妄想であり仮説の正誤というよりも、こうした世の中の動きや事態をどう読むかの話題提供として怖いストーリーをお話しましたが投資や資産防衛の戦略でお役に立てばと記事にしました。
(内容は極めて個人的な想定なので気分を害した方がいたら失礼しました。)
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