FIREには相反問題があります。
より早くRE(リタイア)を実現するとそれだけ生涯賃金も支給年金額も少なくなりFI基盤(経済的自立)が不利になります。
なので、なるべく会社や仕事を嫌いにならずサラリーマンを続けることが、結果として、FIREに都合よく働きます。
僕はこの点は不幸中の幸いで人間関係や仕事そのものは嫌いではなかったので積極的に会社や仕事を辞めたいとは思いませんでした。
でも仕事は定年までするものではないという思いはあって、それを少し具体的に綴ります。
大前提
多分、社会人第1歩で僕は人と少し違うスタートをしたと思います。
楽しい大学生活が終わり入社式の前日は今振り返っても「人生で最も憂鬱な日」でした。
だって「社会人として生きていくうえで人生は苦悩しかなく、仕事に楽しみなんてありえない・・」という思いでスタートしたからです。
そんな「仕事が辛いのは当たり前」とも「嫌なことがあって当たり前」と期待値最底辺のスタートで、30年間を5段階で通過しながら、リタイアに至った感じです。
レベル1:暇すぎてモタナイ
まだ新入社員で何も仕事ができない頃は、とにかく日々、暇に感じました。
業務時間がなかなか過ぎないのです。
午前10時半頃に「まだ仕事は1時間半しか過ぎていない」とか「退社まであと7時間もある」なんて時計ばかりをみてしまう状況です。
そもそも仕事という土俵にも乗っていない、そんな戦力外で暇すぎた時は、なんだか仕事は面倒だなとは思いましたが、だからといって辞めてやるとは思いませんでした。
レベル2:きつすぎてモタナイ
ある程度仕事を覚えると、だんだんとキツイ仕事がまわってきます。
若さに任せ連続連夜、フル回転していると心身ともにヘトヘトになります。
ふと「こんな生活をずっとやっていけるだろうか」と不安になります。
そして60歳リタイアまでの日数を電卓で計算し「あと9000日か・・」とびっくりしたりします。
体力や気力が持つか不安が襲いますが、だからといって仕事を辞めては経済的に成り立ちません。
体力が続く限りやれば良い(家庭もあるし)とのモチベーションで身を投げ打って仕事をしていた面はあります。
ただ、仕事をやり遂げて多少「嬉しい」という経験もありましたが。
レベル3:窮屈すぎてモタナイ
単純なことですが、月曜日の朝とかゴールデンウイーク明けなど「仕事に行きたくないなあ~」と思うことがありました。
もちろんそれは自分だけでなく誰でも同じ心境だと想像できます。
それゆえ休み明けの朝に「仕事を休みます」と会社に連絡するようでは「あいつは弛んでいる」と認定されるのを気にします。
出勤が嫌だという意味ではなく「気が抜けている」と思われないために配慮して行動する「窮屈さ」です。
これはあらゆる面で感じるようになり、結局、会社では「仕事の成果から振る舞いまで他者からの評価を基準にして生きている」というのがどうも窮屈に思うのです。
自由が欲しいなと思いが強くなる30代後半でした。
レベル4:察し力のゲームにモタナイ
会社が立てた目標や戦略をどうやって達成するかとか、会議をしたり議論をしたりしているわけで、そんな見た目は「それらしい」検討や施策を考えて仕事をしています。
ですが結局、何が物事を決定するかといえば、「上」の人間が頭に思い浮かべているものを「下」の人間がそれらしく言語化してビジュアル化して提示できれば評価されるといった、つまり全ては「察し力」で動いている感覚です。
そんな「察し力」を競い合う社内の人間関係にずっぽりいると、いったい、誰のためになんで仕事をしているのかがわからなくなり、もしや仕事って壮大なバーチャル仕事ゲーム(マトリックスの世界か?)なんて思ってします。
まあでもそうやって組織が動くとか、会社が社会に情報発信するのをみながら、資本主義ってこんなものかと感じるのが40代前半です。
フェイクな(本物じゃない)人生でいいのか?といった感覚で自分に何得?と思う感じです。
リタイアで仕事をしない自由というより、自己決定できる自由がいいなという思いが生まれます。
経済的自由になったタイミングだったので、察し力で仕事をするのはやめて、自分なりの思いで仕事してみるか(ダメならいいや)と思った感じです。
壮大なマトリックスゲームでここで赤いピル(薬)を飲んだ感じとも言えますが。
レベル5:変わらない3年後に夢をモテナイ
そして入社から30年も仕事をしていると、組織が直面する課題や問題は時代が変わっても内容は変わらず、なんだか永遠に解き続けているかの錯覚になります。
「あれ、これは以前も問題にならなかったっけ?」、「こんなやりとりあったよな」といったデジャブ現象も起こりまくります。
組織が大きくても、ある特定ジャンルの特定な業務は、結局、同じような関係者が登場人物となって動いています。
なので「3年後もこうしたメンバーでこうした問題を永遠に解き続けているのか」なんて進歩のない自分の働きっぷりを想像できるし、そんな先(定年)まで会社につきあう意味はあるのか?と思ってきます。
もちろん一方でリタイアしてやりたいこともリストがあるわけです。
そしてレベル5で会社ゲームもゲームオーバーになってしまったわけです。
同僚の皆さんレベル10まで頑張ってるのかとは思います。
終わりに
以上、そもそも仕事が嫌でしょうがないこともなければ、人間関係がたまらなく面倒だったわけでもありません。
入社初日が最も憂鬱で、そこから少しずつ仕事を覚え、「何もできない自分」という負い目も減り、仕事はある種、連想ゲームとも思えてきました。
仮説を立てて、やってみて、結果からまた仮説変更、という流れで取り組むことは自分の肌には合っていたと思いますし、物事がどうなっていくかをみるのは楽しい面もありました。
ただ、最終的には会社の屈さや将来の閉塞感も感じ、仕事に時間を費やすより、リタイアをして得られるものが大きいと思いアーリーリタイアしました。
FIREに至る動機や流れは人によって違うと思いますが、僕の場合は結果としてRE(早期リタイア)をしたわけで、リタイアが目標ではありませんでした。
結果からみると経済的自立をしても少し働き続けるぐらい長く働きすぎた時間ロスはデメリットはありますが、でも僕はそれも肯定しています。
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