FIRE批判は数々ありますが、僕がいまだに微塵とも「実感も共感もできない批判2つ」があります。
それは、①FIREしても暇をもて余す、②リタイア後にボケる(老ける)、というものです。
これら批判は本当にFIRE実践者が言っているのかも理解できません。
批判そのものに矛盾もあり、万が一その通りであるならばFIREで得た「何をするのも自由」という選択権でいかようにも解決できるものだからです。
今日はそんなFIRE批判で僕が解せない2点を綴ります。
FIREしても暇を持て余す
まず、FIRE批判としてよく目にするのが「FIREしても暇を持てあます」からとFIREは止めとけとするものです。
仮に、FIREをした人が家族や夫婦の方ならいくらでも家庭内でやることがあるはずです。子供がいればなおさらです。
僕のように独身者であっても家のことでやることも多々ありますし、時間の使い方としては(家族や夫婦の方も同様)趣味なり気が向くものなりがあるはずです。
例えば、旅行や遊びにでかけたり、興味あるジャンルの本を読んだりネットをみたり、ゲームをしたり・・と人それぞれですが。
というか、そもそも「FIREをする積極性」なり「資金作りをする計画性」を備える人が本当に「時間を持て余すのか?」が疑問です。
まずもって仕事が嫌でFIREをしたならば暇なことがハッピーな訳です。
でもハッピーだが仕事もせず時間が大量に余って暇で嫌だというのなら、何か働き甲斐のある仕事でもパートタイムでもやればいいわけです。
そもそもFIREは「時間の使い方を自分で決めることができる権利」なので、そんな権利をもった状態で「暇だ」と発することが「矛盾」に感じます。
究極、「開き直って、暇だというのなら暇を楽しめばいいじゃないのか?」と思います。
僕にとって理解不能なFIRE批判が「FIREしても暇だ」というものです。
リタイア後にボケたり老ける
これはリタイア(定年)なのかFIRE(早期リタイア)なのかで状況は異なると思います。
いわゆる定年などのリタイアならば強制的に会社を去ったわけで、それまで会社から与えられてきた仕事で受動的に考えたり行動したりといった習慣は奪われます。
そしてリタイアしても、自分で能動的に何かに取り組むということをせずに活動量が自然減となることです。
これならばボケたり老けたりはあるのかもしれません。
まあでもボケたり老けたりするのが嫌ならば、定年リタイア後に何か趣味でも興味あることでもすればよいわけです。
一方で、自らFIRE(早期リタイア)で会社を去る判断をしたのなら、仕事がなくなる日々は想定内です。
FIREをしてそれに代わってボケ防止や老け防止でやることを本当になにも想像しなかったのか?と思えてきます。
万が一、ブラック企業なりから離れることに意識が集中しリタイア後の考えが及ばなかったとしても、リタイア後に心の平穏を取り戻せば、旅行なりお出かけなり、本を読むなり、何かやらないのか?やらずにそのままボケたり老けるほどずっと佇んでしまうのか?と思ってしまいます。
最悪、働かないとボケたり老けたりするというのなら、パートタイムや仕事なりを再開しても良いわけです。
なので定年リタイアはさておき、自らの意思で早期リタイアした人が自由を獲得したのに本当にボケたり老けたりするのか疑問でしかありません。
*精神的な疾患などでやる気が起きなかったり、その結果、活動量も減ってボケたり老けたりするのならば、それはFIRE云々というライフスタイルの問題ではないので、病気として適切な対処は必要だとは思います。
FIREで暇だとかボケるを例えるなら
ちなみにこうした「暇だ」とか「ボケる」というのを例えるとしたらこんなイメージです。
お腹が減って自ら「ビュッフェレストラン」に入って、目の前にある30~40種類の食べ物が並んでいても「何も食べるものがない」「食べないと不健康になる」と言ってる感じです。
早期リタイアで得た時間で、好きなことをして自分の欲を満たせるのに、せっかくの貴重な時間を「暇だ」と欲を満たさないのは目の前の食べ物が並べられてるのに食さないようなものです。
何も食べないまま過ごすと健康を害するように、FIREをしてもなにもせずにいるのはボケるということになります。
終わりに
以上が、よく目にするFIRE批判について僕が以前から不思議に思っていた2点です。
もちろん僕も日によって「暇だな」と感じたり、やることがマンネリ化して「退屈だ」ということはあります。
でもそれは一時的なものです。
毎日毎日そんなに「暇だ」となるなら時間を格安で譲ってください。。。
とはいかないので、ぜひ時間を無駄にしないよう簡単にできることでも取り組んだと思います。
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