FIREに向いていない2つの気質特性とは

2024-04-08

経済的自由・FIRE

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FIREには向き不向きがあります。

経済的に自立し早期にリタイアする人の生き方は多々あります。

ストイックに支出を削って節約生活する人も、緩く働きながらセミリタイア生活する人も、無職生活で趣味に生きる人もいます。

共通するのは「自分が価値を感じる生き方」を突き詰めることをしていて、FIREはいわば生きる価値を最大化する手段ということです。

それゆえ問題なのは、早期リタイアで思ったような価値を得られず、本来のメリットある生き方とは相反してしまうことです。

早期リタイアをして「こんなはずじゃなかった」とFIRE卒業になる失敗パターンは共通性が見受けられます。

今日はそんなFIRE(とくに早期リタイア)に向かない気質特性を2つ綴ります。

社会的立場が大事な人

早期リタイアに最も向かない気質が社会的立場に価値を見出している人です。

会社がもたらす社会的な側面はいろいろあるので、それらを早期リタイア前にしっかり知っておくことが大事です。

例えば、人によっては会社を通じて

・職場という「わちゃわちゃできる居場所」がとても好き(孤独耐性も実は低い)、

→居場所がなくなると「孤独」を感じる、

・⚪︎⚪︎会社勤務という会社の看板で得られる「人からの信頼」が居心地良い、

→会社の看板がなくなると「無力感」を感じる

・会社の地位や肩書が「自分の誇りであり自信」だ、

→地位や肩書きを失うと「自信を喪失する」

といった結末となります。

こうした会社の枠組みに馴染んでしまっていると、早期リタイアをしてはじめて失ったものの大きさに気付くことになるので注意が必要です。

社会性を補う方法

さて、どう対処するか。

まず言えることは、こうした会社で与えられる物事は定年を迎えれば失うことが確定している「期間限定」なるものです。

なので早期リタイアだけでなく定年リタイアでも顛末は同じですあって、誰にとっても対処すべき課題です。

ただ、早期リタイアはやる気も体力もあるので、なおさら代替策で補完することが不可欠です。

孤独への対処

よく言われる通り「孤独」はコミュニティーなり自分の居場所を作れば回避できるといわれます。

ただ僕の場合、さほど孤独を感じる体質でもないうえ、「仲間」というすぐに集まれる広く浅い(親友というほど深くはない)存在が重宝しています。

飲み友達とか遊び仲間といった気軽な関係です。

そこから親友になった人もいますし、なにかと「仲間」は孤独を紛らわすので、自分には大事なコミュニティーと感じています。

無力感への対処

リタイア後、会社の看板も仕事もなくなったときに「(自分-仕事)>0」となることが大事です。

そんな自分なりの趣味や存在場所(コミュニティーでの居場所なり)が残っていれば、そもそも「何も無い自分だ」なんて無力感も避けられる、と言われます。

ただ僕の場合はもともと仕事でも「役割を演じる」程度の距離感だったせいか、仕事がなくなることで起こったのは「時間を得たこと」だけで、失うものはありませんでした。

そんな現役時代から会社との距離感をどう保つかも、リタイア時に影響を及ぼすといえます。

現役時代から適度な距離感を保てば対処できるものだと思います。

自信喪失への対処

社会で「権威や権限」を発揮したいのであれば、ひとり法人を作って「社長」を名乗れば、一応は世間体を保ったり「自信」は失わずに済むかもしれません。

ただ、売り上げが伴わない「形だけの法人」で本当の良いのかなど、そんな根本に疑問がでてくるかもしれませんね・・。

以上、社会的立場が精神的な拠り所として染み込んでいる人ほど、早期リタイアで孤独や無力感、自信面でマイナス作用となるので注意が必要です。

世間の目や声を気にしすぎる人

早期リタイアに向かないと思う2つ目が「世間の目や声を気にしすぎて自分の考えが揺らぐ人」です。

FIREは自分が価値を感じる生き方を追求する手段なので、FI(経済的自立)をして、仕事とは違う「生きる目的」にシフトすると、場合によっては「普通じゃない生き方をしている」と思われます。

ボランティアなる社会貢献などであれば「(会社での)利益追求より公共性が大事な人だ」で終わるかもしれません。

ですが場合によっては、理解されない生き方になります。

例えば、リタイアに後に進む道が、

・介護、子育て、親孝行などの家庭事情(専業主婦・主夫になることを含む)

→「仕事のキャリアを捨ててもったいない」といった他者の意見

・趣味や好きなことの探求

→「変わり者!」といった他者の意見

・会社の束縛を避けて平穏に暮らす

→「コミュニケーションができない人」といった他者の意見

といったことです。

そもそも経済的に自立している以上、自分の資産を使って自己の居心地よい幸福を追求するのは個人の自由なわけです。

自分のお金や時間の使い方が反社会的でなければ、それをいちいち他者から意見されるのも意味不明なわけです。

こうした他者の目や声を気にせずいられるのがFIRE向きであって、世間の目や声で簡単に揺らいでしまったり、1~2年でFIRE卒業なる結果では、人生の計画そのものが狂ってしまいます。

早期リタイアの建設的な面

こうした他者の価値観の押し付けや批判に対し持っておきたいのが「早期リタイアの持つ意義」です。

早期リタイアで得られる自分の価値を建設的な捉え方で落とし込むことです。

頭や論理で理解するということではなく、自分なりの信念に落とし込むレベルが望ましいと思います。

義務不履行への建設的見解

早期リタイアで仕事を離れると、最も大きな批判が「働く能力も体力もあるのに働かない」といった労働美徳なる価値観からの「労働義務不履行」なる圧力です。

ただ「能力や体力がある限り働くのが当然」なんて社会を「正」とするならば、定年まで働く均一で多様性の欠如した世界になってしまいます。

そんな強制労働なり多様性の認められない社会でいいのか?というのがまず疑問です。

僕より先にFIREした人たちがやっているように、自ら多様性ある生き方を(出る杭が打たれようが)率先するぐらいが、新しい良い時代を築く原動力ですし、多様性ある自由な社会作りにつながっていると思っています。

社会貢献なる建設的見解

また別の観点で、労働による社会貢献の欠如も批判のポイントになります。

「労働で社会インフラを作ったり社会貢献することは重要だ」とする労働美徳論です。

これも、FIRE生活において、社会インフラを作る企業に株式投資をして、それが雇用を作ったり、その企業が社会インフラを整備すれば、FIREでの株式投資も立派な社会貢献になるわけです。

企業もそうした資金調達なくして人も雇えなければ業務も遂行できません。

あるいは別の観点で「納税をしていないから社会貢献をしていない」といった批判です。

早期リタイアで所得税を払わなくとも、消費税、固定資産税、譲渡税・・と、FIRE生活でも社会ルールに準じて、脱税することなくきちんと納税するわけですし、それが富の再配分や社会サービスに貢献するわけです。

納税額や納税種別の違いは徴収制度設計の問題であって、FIREというライフスタイルを保持する個人に帰すべき問題でもありません。

終わりに

以上、早期リタイアという生き方は万人向きとはいえず、やはり向き不向きはあります。

ちなみに僕にとって仕事は「やりがい」はありましたがある程度の年齢で能力も体力も限界も感じると「やりがい」も減ってきました。

そんなときに早期リタイアできたのは運よくFI(経済的自立)をしていたからです。

FIの基盤がしっかりあれば無理に働くことも、世間の批判によって自己肯定感を失うこともなく、自分の道を進めます。

FIは精神安定剤であり、僕にとっては仕事の「やりがい」を捨てても「いきがい」を得る原動力でもあります。


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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