完全リタイアから丸2年が経過しても、1日に1回は「リタイアして良かった」と感じる「具体的な瞬間」があります。
それは「明日は仕事があるから」と自分にブレーキをかけなくて良いことでリタイアしていることを認識する瞬間です。
その程度と思うかもしれませんが、この感覚は地味ながら早期リタイアから2年が経っても喜べるものです。
今日はこの感覚について綴ります。
「明日は仕事がある」という制限
サラリーマンの頃は「明日は仕事があるから」と自制をかけました。
仕事に向けての体力温存、仕事のパフォーマンス低下を招く疲労回避といった理由です。
夜遅くまでネットである調べものをしていたら、サラリーマンの頃は「明日は仕事だからもう寝よう」となります。
ところが今はとことん調べものを続けることもできます。
仕事を第一優先にして自分のやりたいことを制約したり中断する。
そんな「仕事が中心にある」という考えや習慣がなくなったことがとても嬉しく思うのです。
仕事の束縛や強制が消えただけか?
これは単に「仕事の束縛から解放された」という解放感ではありません。
もう少し深いところに嬉しさがあるのです。
もう自分の人生はサラリーマン生活から切り離されているとか、あるいは自分で判断できる状態を取り戻したといった実感です。
「仕事から解放」はリタイア当初は嬉しかったのですが、もっと「仕事中心」から「自分中心」に「軸が転換した」と再認識できることです。
公転か時点かのぐらいの違いがあります。
軸が転換したとはリボーン(REBORN)ともいえる
リタイアしてからそんな自分の判断でものごとを動かせるように変化したことだけではありません。
もともと好きな趣味のほか、サラリーマンの頃にはやってない新しい趣味や習い事を始めたこともこの大きな軸の変化を感じさせます。
子供の頃って好きなことをしていて、なおかつ、なんら心配事もありませんよね。
学校は勉強するのは嫌な時間ですがいずれ時間が経てば授業は終わります。
思いっきり遊んでお腹が減って家に帰ればご飯はできているし、眠たくなれば寝ればいい。
そんな子供の頃は家族に依存しなんら心配もない日々を送れていたことと、いまのリタイア生活も、それと近くて、経済的にはリタイア生活を永続できるとの安心感があることが似ています。
なので、子供の頃のような感覚とも近いもので、なんだか生まれ変わった気もするのです。
もし生活で経済リスクや不安を抱えていたら、小心者の僕は戦々恐々として、こんなノホホンと喜んでいる余裕はなかったと思います。
終わりに
リタイアの良さとしては気ままに旅行や趣味に過ごせることも大きなメリットです。
ですが長くサラリーマンをした僕は「明日は仕事があるから」といった制約が取れた状態で、なおかつ心配のない日々を送れる心地良さがなによりです。
もちろんサラリーマン生活は生きていくうえで不可欠なものでしたし否定はしません。
仕事で得られたことは大きかったと思っています。
複数ある人生ステージで、いまは早期リタイアがリボーンのような感覚であることは、無邪気に嬉しいことだと感じられています。
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