2024年3月末で早期リタイアから丸2年経ちますが、ふと、早期リタイアのきっかけとなった2つの出来事を思い出しました。
といっても仕事中に感じた他愛もない違和感です。
コロナ禍で心が少し蝕んでいたのもあったのかもしれません。
その出来事は、
①なんら向上している気がしない「停滞感」、
②2,3年先も今と変わらない仕事の日々が続いているとの「閉塞感」、です。
今日はこの早期リタイアのきっかけになった2つの要因(停滞感・閉塞感)を感じた出来事を綴ります。
早期リタイア直前の状態
40代後半にFIREのFI(経済的自立)をしましたが「とりあえず後悔のないところまで仕事をやり切ろう」と早期リタイアを先延ばしにしていました。
仕事を辞めたら二度と戻れない片道切符だと思うと後悔だけはしたくないと思っていました。
良かった点は経済的自立からの仕事の日々は気楽だったことです。
「いつでも辞められる」と思うと仕事の重圧が不思議と空気のように軽く、失敗しても良いから思い切って仕事してみようと割り切っていたからです。
そんな状態ながらコロナ禍により、赴任先の国ではロックダウンで外出禁止となりました。
その時に「2つの出来事」が起こったのです。
仕事での停滞感
当時は自宅マンションに閉じこもってオンライン会議や資料作りをする日々でした。
ある日、資料を作りながらふと「そういえば何ら新しいものを作り出していない」と妙な感覚がありました。
資料作りがワンパターンでした。
たしかに必要なステップ(情報収集→分析→仮説→アイデア提案→議論し結果をまとめる)は踏んではいますが、どこかその「流れそのもの」が進歩ないと感じました。
資料の中身こそ違えど、仕事の進め方も問題の解き方もワンパターンで、なんら「進歩がない停滞感」です。
仕事での閉塞感
さらに数日後、今度は資料を作りながら「きっと2年後も3年後もこうして同じように資料作ったりしているだろう」と、先が見えて妙な「閉塞感」を感じました。
数年後の仕事イメージがあるというのは、FI(経済的自立)をする前なら「仕事が見えないより安心」と感じるかもしれません。
ですが当時はコロナ禍のせいか「もう新しいものを生み出せず、貢献もできず、自分にとっても時間の浪費だ」と、敗北感が強くなりました。
人生の残り時間を考えると、そんな閉塞感が大きなマイナスに思えたのです。
コロナ禍でなければ仕事を辞めていないかも
といった出来事をいま振り返ると、コロナ禍で心が荒んだ面もあるとは思います。
アーリーリタイアは、まるで後悔もありませんし、コロナ禍であったからこそ自分をみつめ、辞める後押しになったわけです。
コロナ禍でなければ今でも仕事をしていたかも?と思うと、それはそれで、結果的には運が良かったと思えます。
終わりに
世の中には「FIREできるけどなんとなく仕事を続けている」という人は結構いると思います。
現状に不足がないと、変化を望まず、現状維持に甘んじてしまいます。
僕はコロナ禍という環境で、停滞感と閉塞感も強く感じ、人生の残り時間を考えると「もはやFIREでリセットするしかない」と、簡単に決意に至った部分があります。
いずれ加齢により、停滞感や閉塞感はもっと大きくなりますし、自分をごまかしながら過ごすより、思い切ってリタイアを決断できたことは良かったのだと思う次第です。
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