30年前の会社ならFIREはこう断罪された!

2024-02-16

経済的自由・FIRE

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最近の社会環境というか時代変化は怖いと感じます。

私人逮捕系・世直し系のYOUTUBERの台頭や、会社ではコンプライアンス順守の厳しさも増しています。

そんななか、松本人志さんへの文春砲は8年前、最近は18年前の問題も出てきました。某芸能事務所の性被害もかなり時代を遡ります。

もちろん時代を超えても一線を越えた悪事は断罪されるべきですが、一方で、なんでもかんでも時代を遡ってまで行き過ぎた今の社会正義で裁くのもどうかと思います。

そんな今の価値観で古い価値観を断罪する事態をみるなか「もし僕が30年前の会社環境でFIREを明言したらどうなるか」「FIREしたいといって会社から嫌がらせを受けていたら、いま、それをモラハラだ!と訴えられるか」なんてことを想像してみました。

平成初期の会社の正義と同調圧力

僕が入社した会社もそうですが、平成初期はどの会社も「終身雇用が当たり前」といった文化でした。

なので、例えばOBとして大学後輩の採用に携わる時も、人事部からは「すぐに辞めるような人材は取るな。芯のある奴を探してこい。」と言われます。

人事部の立場では「新入社員として採用した後は研修などの人材投資が出るから、長く働いてもらわないと元を取れない」といった理屈です。

なので自分もそうですし、新たに入社してくる人も「定年まで働く」のは初期値として当たり前ですし、それが欠如していると、明らかに就活も不利であったり、会社ではコミットメントが無いと評価に悪影響です。

FIREが目標だと言ったらどうなるか

そんななか、もし「なるべく早くアーリーリタイアをして気ままに暮らすの目標です」なんてことを公式・非公式の場で口にしたらどうなるか?

きっと所属組織の部長室なり人事部に閉じ込められ、会社脳へと心理的拷問圧力を受けるでしょう。

そして「要注意人物」としてリストに名前があがり、一生、「裏切者の危険人物」と登録されると思います。

一方、今の時代は転職も当たり前です。

最近のテレビCMで目立つのも転職関係の宣伝だったりしますし、30年前の人が今の時代にワープしてテレビをみたら、この状況に腰を抜かすと思います。

それぐらい、社会の常識にしろ「正義」というものは変わります。

実際、当時の就活は学生にとって売り手市場ですが、いったん入社すると、会社の思うままに自分の意思を合わすことを求められます。

ということでいま仮に「会社は個人の人権を抑圧している。FIREをしたいと会社に漏らしたら30年前、パワハラを受けた!」と訴えたら、果たしてどうなのか?なんて考えてしまいます。

時代によって正義が変化する

こうして時代を振り返ればやはり「正義なるものが時代ごとに変化する」と認めざるをえません。

FIREという1つのライフスタイルをとっても、今の時代は個人の権利として当たり前に許されていますが、30年前の時代では「不義理」となる気はします。

FIREをしたくてもこっそりひっそり、計画を実行するしかありませんし、そんな賢さが必要な時代でもあったのでしょう。

過去30年でこれだけの変化なので、これからの30年はもっと大きな「正義の変化」が起こるかもしれません。

例えば将来、会社には定年制度として65歳なり70歳まで居残れる権利があったとしても、「定年まで会社にしがみついて生きていくなんて何事だ」なんていう風潮だって無いとは言えません。

結局、社会の正義なんて変化するので、自分が正しいと思った正義を時代や環境をこえて貫く「自分の正義とぶれない芯の強さ」が大事なのだと思えます。

終わりに

ということで結論、自分が正しいと思った正義が、僕にとってはFIREです。

社会環境や社会正義がどう変わろうとも「FIREによって自分らしくいる」ということは譲れない自分の正義です。

正義はつねに目標でなければならず、必ずしも出発点である必要はない。

(ジョセフ・ジューベル)


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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