僕は長年ある日系企業に勤めた末にFIREをしました。
FI(経済的自立)をしたのは40代後半でしたが、まだ「会社を中途半端に辞められない」と留まることにしました。
結局、そこから8年ほど仕事をした50代半ばを過ぎたころ、「もう十分だ」との気持ちが強まりリタイアを決めました。
この「十分」というのは「もう一つの人生を歩こう」という前向きな感覚が大きいのは事実ですが、同時に、「これ以上は会社に踏み留まれない」というマイナス面というか負の感覚もありました。
今日はこの心の暗闇ともなる負の心情を綴ります。
会社に踏みとどまる限界を感じた理由
サラリーマンも年齢を重ねれば「もうこれ以上は会社にいれない」と感じることが増えます。
一番大きな問題は、仕事で自分が成長する感覚もなく、ただ仕事をまわすだけの日々にもう限界だと感じていたからです。
経験や社内で蓄積したネットワークもあって、組織が難題に直面してもなんだかんだ問題解決をしたり、仕事はこなすことはできます。
ですがなんら新しい知識獲得や成長もなく「付加価値を上げられない停滞感」というものが自分を覆ってくる感じです。
当時はコロナ禍の真っ只中で、欧州のある国で仕事をしていたのですが、その某国も戒厳令にて一歩たりとも外出できない状況でした。
閉じこもってリモートワークをする日々も閉塞感やら限界を感じる理由でした。
限界を感じた後のシニアの生き延び方
こうした「仕事に慣れてしまった」シニアは、そこから3つぐらいの道に分かれると思います。
それは、
①「働かないおじさん」としてのらりくらり会社で生き続ける、
②「若手を育てる」とサポート役に徹して生きがいを見い出す、
③きっぱりリタイアする、
という3つの道です。
僕の場合、日本への帰国異動というきっかけで③きっぱりリタイアする、という想定通りの判断をしました。
想定通りというのは、もともと40代後半のFI(経済的自立)で「仕掛り中の仕事は最後までやろう」とリタイアを先延ばししていたからです。
なので「③きっぱり辞める」という選択が自然で、「①働かないおじさん」として会社に留まり人生の時間を消費したり、「②若手を育てる」なんてほど職場への忠誠や未練もなく、辞めることを判断しました。
終わりに
会社というコミュニティーでは、自分が仕事において付加価値を出せなくなったらもう限界だ、といった気持ちがあり、何ら仕事も会社も未練もなくなりました。
もはや成長のない老兵なんてすぱっと仕事を辞めたほうが会社のためです。
以前の職場も、こうして自分がいなくても問題無く仕事はまわっているでしょう。
そんな自分の闇を飲み込んで後ろめたさで仕事を続けるより、新しいセカンドライフで自分らしく生きていくほうが、すっきりするというものです。
そんなリタイアという逃げ道ともなる選択肢を持っていたことが人生幸いだったわけですが、これが「お金(経済的自立)」というFIREのメリットでもあります。
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