日常の些細な出来事で「FIREをして良かった」と感じる瞬間があります。
その7つめの事例が「検証」です。
FIREをする前に「仮説」を立てます。例えば、経済的には「生活費は〇〇だから資産(収入)は〇〇で良いはずだ」といった仮説です。
ですが、FIRE前にいくら緻密に仮説を立てたとしても、「FIREをして大丈夫か?」といった不安は解消されません。
その不安がぐっと解消され「FIREをして良かった」と安心できたのは、「FIRE生活を始めて数か月後、”生活実感”をもって”収支検証”をした時」でした。
今回はそんな検証とFIREについて綴ります。
FIRE前の仮説について
FIRE前は、経済面や生活面まで、いろいろと想像を働かせて仮説を作りました。
人によって仮説の作り方は違うと思いますが、僕の場合はFIREに限らず、投資をするときも、あるいは大事な判断をする時も、「妥当な線と、その上限・下限」を想定します。
それは「おそらく〇〇だろう」といった想定ラインを中心に、下限は「最悪は〇〇」、上限は「最善だと〇〇」といった振れ幅で仮説を作ります。
そんな仮説の下限をみたときに「まあ、なんとかなる」とか「そうなっても構わない」と最悪を受け入れるキャパがあれば、たとえ仮説に不安があっても、もうその先を考えずに判断するようにしています。
ただ、どこか「本当にそうなるかな?」といった不安は完全に拭いきれるものではありません。
FIRE後の検証について
そうこうするなか、FIRE生活を始めてようやく生活費や資産所得といった結果が出てきて、仮説としてもっていた机上の数字にリアリティがでてきます。
それは時間の使い方も同じです。
当然、FIRE後は生活コスト、税金、社会保険費、資産収入などの実績をもとに、再度、収支を計算したりします。
この、生活実感をともなった収支検証で初めて、不確実だった仮説もある程度確定されて、FIRE前に感じていた不安もなくなり、「やっていけそうだ」という確信に変わってきます。
人生は仮説と検証の繰り返し
FIREに限らず、人生ではなにごとも仮説と検証の連続だと思っています。
仮説があるからこそ、実際に経験をしたときに、何がどう違うかといった点も明確になりますし、それをどう補正するかといったことを考えたりします。
そこを軽く「イメージと違う!次に行こ~」って感じでやり過ごすばかりだと、補正力とか受容力ができませんし、一方で「イメージと違う!なぜそうなのか?へぇ~おもしろい!」と好奇心をもつと、次々と興味が広がるものです。
なので、仮説と検証は、結構大事なことだと思っています。
終わりに
なお、いくら自分がFIRE生活と向き合って仮説と検証を繰り返したところで、例えば、社会における経済環境もどんどん変化しますし、時間の使い方だって、自分にとっての良し悪しの感覚も変わっていきます。
なので、こうした変化が大前提だと、1回の検証で良いものではなく、未来永劫、この仮説検証の繰り返しでしか安心やら安定は最終的には維持できないと思っています。
こうした「変化するものだ」というのを前提に考えると、ますます、自分自身がこうした仮説検証のスキルや対応力を身に着けることそのものが「安心材料」だとも思えるFIRE生活です。
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