2023年8月16日は京都で五山の送り火があります。
お盆に帰ってきた先祖の精霊を再び送る行事です。
京都を囲む5つの山に「大文字」、「左大文字」、「舟」、「鳥」、「妙法」をかたどった火が灯もります。
40年以上前、そんな五山の送り火を見た日に撮った写真の謎は今も解けません。
「心霊写真」といった感じではなく(というかり霊は信じていませんが)でも先祖が帰ってきているというのを実感するような体験であり思い出です。
あまり公開するような内容ではないのですが、でも最近、リタイアをしてから先祖を敬う心を大事にしていて、この体験を書こうと思いました。
京都五山の送り火を見た日の出来事
あれは家族で京都にあるマンションの屋上で五山の送り火を見た日のことです。
僕と弟は、たしか夜の8時前に、それぞれの山に「大」、「妙」、「法」といった火が灯りだす頃から屋上で観ていました。
マンションの屋上は沢山の人がいて、みんな緑色のネットで囲われた内側からそれぞれの方向を眺めています。入り込む隙間がないほど混んでいました。
そんな様子を離れていたところからみていた僕は、ふと屋上の出入り口をみると父親が入ってきたのが見えました。
父親は屋上に来るなり「大」の方向をみて佇んでいる人だかりの様子を、当時のインスタントカメラでパチっと1枚写真を撮ったのがわかりました。
フラッシュがたかれたのです。
そこに写っていたのは
後日、そのフィルムを現像に出してできあがった写真は、やはり夜の五山送り火はほとんど写っていません。
でも最初の1枚の、父親が入ってくるなり人だかりの様子を撮った写真はどうも変でした。
送り火を見ている大勢の人たちは、その背中がずらっと並んでいて、フラッシュのために少しはっきりと写っています。
でもそんな人たちが見ている先の山は「大」の文字は写っていませんが、その暗い夜空のところにこっちを向いた人たちの集団が写っています。やや半透明な感じです。
もう写真はないので僕の記憶にあるだけです。
でもその写真は当時、僕も友人に見せたりしていたりして、幾つか現像をしたので覚えています。
写っていたのは軍人の人(制服をきていて、白いタスキを肩から斜めにかけていた)、お婆さん(血色の良い顔色だった)、学生服の中学生か高校生風のひと、お爺さん、異常に肩幅が狭い人(ちょっと性別は忘れました)。。。
40年前といえばずいぶん昔です。
その時に既に、そこに写っている人たちはそこから更に40年は昔と思えるような昭和初期っぽい古めかしい感じの服装や髪型、帽子だったのを覚えています。
科学的に謎を解くと
霊的なものは信じていなくて、科学しか信頼しない僕にとって、そんな形で写真が写るのはとても変で、ずっと説明がついていません。
仮に、そういった集団を写したネガに、今度は夜の五山の送り火をフラッシュをたいて撮影したものが重ね取りされた、というぐらいしか可能性はありません。
でも、今でも覚えていますが、そのカメラはフィルムを巻かないと次のシャッターを切れません。
それに重ねて撮影していたら、光を取り込みすぎて、もっと明るくなってしまうでしょう。
そうした現象が起こる理由はなかなか思い浮かばず、じゃあ、あれは何だったのか?というのがずっと当時から今まで謎が解けずにいます。
今思うこと
いまでも不思議に思います。
あの「すーっ」とこっちを見ている人の集団、決して怒りもなければ、喜びもない、でも正面をぐっとみている様子は、なんともいえない感じです。
仮にそれが、なんらかの集団の記念写真だとしても、そんな表情で全員が写るはずはありません。しかも軍服の人から中高生、お爺さんお婆さんがどうして一斉に集まるのか・・。
論理的に考えて、あれがなんだったのか? という謎は今も解けません。
表情のなさが「喜怒哀楽を超えたレベルでひたすら見守っている感」があった気がしたのは、いまでもはっきり覚えています。
終わりに
つい先日、「先祖を敬う」ということで家系図作りをしているとの記事を書きました。
そんな先祖を敬う気持ちが湧いたのは、心にしまっていたこのUnsolvedMysteryも1つの理由です。
アーリーリタイアをして、先祖に感謝する心が強くなった最近は「先祖の皆さんであって欲しい」という思いすらどこかあります。
年に1回、こうして対面し、そして先祖の霊が見送ってくれている人たちに「また来年ね!」とポーカーフェースで挨拶をするのって、なかなかいいじゃないですか!
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