誰でも仕事で怒られることは大きなストレスです。
怒られたことが「理不尽だ」と感じれば感じるほど、より大きなストレスとなります。
ただ、僕からみると、本人が思うほど「理不尽」と感じる必要のないものが大半だったりします。
つまり、怒られることを受け流すノウハウや知識があれば対処できる部分があるのです。
今回は、「怒られること」からストレスをためないための知識と対処方法を綴ります。
怒られるとストレスを貯める人
まず、自分の性格やタイプによって、そもそも怒られることからストレスをためやすい人がいます。
自分がそんなタイプに該当するなら、必要以上に怒られることを感じてしまっているはずです。
タイプ1:優等生
これまで親や先生から怒らずに生きてきた「優等生」ほど会社生活で怒られることでダメージを受けています。
特に「怒られないように」といった基準で家庭生活や勉強をしてきた人は、裏を返せば、怒られることにストレスを感じる回避行動を取ってきた人です。
そうした人が最も怒られることに過敏になっているといえます。
タイプ2:表面しかみない人
時々、相手の意図や背景をまるでみずに「言葉だけを言葉通り」に受け取る人がいます。
怒る人にはなんらかの理由であり意図があります。そんな当事者の意図や理由を読み取ろうとしない人です。
怒ることは大きなミスがあるからとは限りません。
こうした「優等生タイプ」や「表面しかみない人」は、もともと怒られることにストレスをためやすいということも加味して上手に受け流すことも必要です。
ということで、怒る側の目的についてみてみます。
怒る人の目的は3つ
怒る人にも目的があります。
その目的を理解すると、怒られることを上手に受け流すこともできます。
僕のサラリーマン経験では、目的を3つに分類していました。
それは、①状況的指導、②感情的発散、③成長的助言です。
簡単にいえば、
状況的指導:ミスをした本人に対する指導というより、その職場なり集団へのメッセージであり「こんなミスは許されないぞ」というアピールを目的としています。
感情的発散:単純に「瞬間湯沸かし器」的な感情をコントロールできない人が、ミスに対して怒りのままに怒ることです。
成長的助言:怒るというより「叱る」というスタンスにたって、本人のミスを再発防止したり、今後の本人の成長を思って指導するものです。
つまり、どういった目的かを理解すれば、「妥当な怒られ方だ」とか「理不尽だった」「怒るほうが馬鹿だった」などの解釈もできます。
状況的指導による怒り方
職場の雰囲気として「絶えず心理的プレッシャーがあることを良し」とすることがあります。
すると、その職場の指導的立場の人は「たまたま少しのミスをした人」をとりあげて、集団にわかる形で怒ることがあります。
よく映画でも出てきますよね。入隊したての軍隊で、新人が何かやらかした時に軍曹が鬼のように怒鳴りつけたり、脅したり、羽交い絞めにするようなシーンです。
そういった「職場の緊張感」を「気を抜くなよ」というメッセージで伝えるために誰かがたまたま代表的に犠牲になってしまうことです。
もちろん、個性的な上司がいて「俺をなめんなよ」なんてタイプだと、必ず、どこかで部下に「怒る洗礼」を与えることだってあります。
こうした「緊張感という状況を指導する」という目的で怒る場合は、職場全員に対する「心理的プレッシャーを与える目的」だと解釈し、あまり「自分が酷く怒られた」と思わないことです。
先の「表面しかみない人」は、特にこうした状況を理解せず、必要以上に「自分が怒られた」「なんで自分だけ?」なんてストレスをため込むので要注意です。
感情的発散による怒り方
ときに、感情をコントロールできない人が上司だったりもします。
そんな上司は、虫の居所が悪いだけで、小さなミスに対しても必要以上に怒ることがあります。
おそらく感情的発散なタイプの上司は、職場界隈でも「すぐに怒る人」と評判になっているので、そもそも、怒られたからといって真面目に受け止めすぎる必要はありません。
優等生タイプが特に要注意です。
これまで人から怒られるのも嫌という人は、自分も人に怒りたくないという感情を持っています。
それゆえこうした感情的発散をするようなタイプを毛嫌いし余計にストレスを感じます。
そんな優等生は「ミスに見合った怒られ方か?」と冷静に状況を見極めることです。
ミスがあれば真摯に受け止め反省する一方、過剰な起こり方だと思う部分は、耳では聞いても心では聞き流すことです。
そうした冷静な仕分けでストレスを緩和させる方法が有効です。
成長的助言による怒り方
相手の成長を願って怒る人は、そもそも集団の前でどなりつけたりもせず、個別に呼んで指導したりするものです。
きっと、そうした成長的助言をする人は、自分もどこか尊敬している人だったりします。
それゆえ、優等生タイプも表面しかみないタイプも、そんな尊敬できる人からビシっと言われることに余計なストレスを感じるかもしれません。。
それは「期待を裏切ってしまった」とか「期待に応えられていなかった」といった自己嫌悪にもなります。
この状況では、ミスをしっかり反省し、再発防止にどう努めるかを、自分なりの解釈をしてきちんとした上で、相手に反省の意を表すことが大事です。
それによって、指導する側も、きちんと指導が届いたという嬉しさもでき、お互いの関係が更に良くなるものです。
「怒られた」というショックより「良い指導を受けた」と前向きに捉えて状況をより発展的に使うことです。
終わりに
長年サラリーマンをやってリタイアすると、そんな「怒られる」「怒る」という世界がまるで遠くに感じます。
20代、30代、40代とサラリーマンをするごと、怒られること・怒ることに慣れるというより、そうした怒る事情も理解しながら賢くかわせるようになったと思います。
そしていま、過去の怒られたことを思い出しても、やはり理不尽なことは理不尽だと思いますし、指導的な怒られたことは、感謝の気持ちがあるものです。
その時のストレスそのものは残っていませんが、「アホなやつがいたなあ」という思いだけが残っています。
いずれは「アホなやつがいたなあ」になるものですから、社会人の皆さん、ストレスを抱えすぎずに、いずれFIREして笑い飛ばす日がくると思ってやり過ごすところはやり過ごしましょう。
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