ときどきFIREを目指しながら、自分の生まれ育った環境を恨んだり、自分の運命を信じていない人がいます。
僕からすると、その望み(FIREすること)と日々の生きるスタンス(運命を信じないこと)の矛盾が、FIREが遠ざけてしまうと思います。
だってFIREって、経済的に自立するだけじゃなく精神的にも自分らしく自然に生きるものです。
宿命や運命を受け入れて初めて精神的に解放された、本当の自分でいられると思うからです。
ちなみに、生まれながらの宿命やら運命の巡りあわせで、僕はこうしていまの状態になったと「自分の運命」を肯定しています。
と、感じたり信じることが、自分らしく生きる力の根源だとも思います。
今回は、生まれ持った宿命、生まれてから自分で切り開く運命について考えます。
宿命とは
宿命とは生まれながらに持ち合わせているものです。
例えば、僕の宿命とは、日本人としてこの時代に生まれたこと。そして、サラリーマンの父の、少し裕福な家に生まれ育ったことです。
こうした生まれながらの環境は、宿命として決まっているものです。
それは自分で選択する余地がありません。
「いつ、どこで、どんな家庭に生まれるか」なんて自分で決められませんからね。
宿命を嘆くべきか?
そんな平等ではない宿命を「許せない」と強く拒否反応を示す人もいます。
そして「もっとまともな家庭だったら」とか「お金持ちの家ならば」とか、自分がアンラッキーだと思ってしまうのです。
確かにけた違いに裕福な家庭で生まれれば、生まれながらに経済的自由があるかもしれません。
一方で、生まれた環境が足を引っ張ることだってあります。
例えば僕も、生まれながらの家庭環境は悪くないとしても、父親が晩年に起業し、会社倒産と自己破産をして全てを失う不幸に巻き込まれることだってあります。
生まれながらの宿命に恵まれ、生涯もずっと宿命に恵まれ続ける、なんて方が極めてレアだと思います。
宿命に平等や優劣を求めたり悔いても、何も生まれないと思います。
どんな親の元に生まれるかは選べませんし、人生のどこか早い時点で折り合いをつけるに越したことはありません。
運命とは
ところで、運命とは何でしょうか?
運命とは「自分の考えや力」といったものごとを超越したところで、必然的に訪れる結果であり、めぐりあわせです。
生まれながらの環境は宿命ですし、既に自分に起きてしまった運命の結果も、ある意味、見方によっては宿命(成るがして成った状態)です。
ですが、これから起こる物事については、自分の努力や願い次第で、ある程度の方向に持っていけると、僕は信じています。
まだ起きていない運命に自分が影響を与えることはできると信じています。
運命主義者は、何をやっても運命は決まっていて、努力するのは無意味だと考えるかもしれません。
運命を変えられる、変えられないをどう捉えるかは個人の考え方次第ですからね。
*なお「変えられる運命はもはや運命じゃない」という禅問答がしたいのではありません。
*「運命は自分の努力以外に、因果関係(必然)、あるいは因果関係のない事(偶然)の合算で、辿り着いた成り行き」という意味で捉えています。
運命への向き合い方
ということで、僕が運命に対して向き合うときに、決めていることがあります。
運命がどういった方向に進んでいくかの「風」はなんとなく感じることができますし、そんな「風」が自分の望む方向に向かって吹くよう「その今に全力尽くす」という感じです。
その結果として、本当に望む地点に辿り着くかは「運次第」だとは思います。
運に左右される「運命」ですが、だからといって「今に全力を注ぐこと」に躊躇してはいけません。
なぜなら、「運命」という言葉は「命を運ぶ」と書くからです。
その「命」を生み出すには「魂」が必要です。
魂を吹き込んで命を宿らし、それを自分の望む方向に運ぶ。その結果、自分の望む運命が生まれると信じています。
そんな魂のことを「夢」と呼んだり「目標」と呼んだり「信じること」と言っても良いと思います。
宿命や運命を受け入れると
宿命を恨んで恨んで前に進めない人も、宿命を受け入れて前に進める人もいます。
運命だって同じです。
仕事や出会いなど、さまざまなチャンスが人生で巡ってきますが、それが運命に繋がるかどうかは、実際に信じてやってみない限りわかません。
「嫌な仕事をやらされている」と感じることそのものが「自分の運命や巡りあわせを信ていない、愛していない」という証になっていて、僕はそれを残念に感じます。
愛や信念も無く「魂」は込められません。
それゆえ、仕事も人との出会いも「何か縁がある」と信じて向き合ったり愛することが大事だと思います。
そうして、自分の宿命も運命も受け入れて初めて、精神的にも自分を解き放つことでき、経済的・精神的に豊かなFIREを実現できると、最近、感じてます。
僕もこの歳までかかりましたが、ようやく父親を許せた心境(下の記事)になったばかりです。宿命を受け入れられたばかりで、まだ人生の真実なんてわかってはいませんが。
終わりに
こうした「もやっとした自分の思い」を文章にして考える時間は、なぜか会社員時代にはありませんでした。
まさにアーリーリタイヤには感謝です。
自分なりに考える時間が一杯できて、ようやく文章にして、はじめて腑に落ちることもいろいろでてきています。
その1つがこの記事ですが、どなたかのモヤモヤ感に少しでも晴れ間をもたらせたり、頑張る勇気に繋がるなら幸いです。
今日の独り言をお許しを。
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