多くの人が「FIREで束縛や制限から解放される!」と信じています。
ですがなかには「自由を感じにくい気質」があります。
実は僕も会社を辞めたとたん大きな「自由」を得たような気はしません。
今日はそんな「自由」を感じる気質や資質について綴ります。
FIREで得られる自由とは
FIREで得られる自由とは2つあると思います。
1つ目は「解放感」です。
仕事での「嫌な人間関係」や「面倒な通勤」、「納得できない仕事やミッション」など、会社生活では避けられ「束縛や制限」から解放されるといったことです。
そして2つ目が「選択の自由」です。
経済的自立と早期リタイアで得た時間をもって「好きなことをやる」といった、自由にやりたいことを取捨選択できることです。
自由を感じにくい気質とは
こうした「解放感」や「選択の自由」は、FIREによって得ることができます。
ですが人によっては「感じにくいという気質」というものがあると思います。
感じにくくする元となるのが「自己決定権」です。
ものごとを「やる」「やらない」から「どうやる」といったことまで、自己判断をすることが多いことが自己決定権がある状態です。
FIRE前(サラリーマン)の自己決定権とは
サラリーマンの生活のなかで「自己決定権がある状態」とはどういったものでしょうか?
僕が自己決定権を持つ人に共通して感じたことは「自由に伸び伸びと仕事をするタイプ」というものです。
必ずしも仕事上の権限や責任が大きい人が「自己決定権」があるとはいえません。
なぜなら権限のある人であっても「上層部の意向」ばかりを気にして「自己決定」をせずに仕事を進める人などがいますからね。
その逆に、権限や責任が少ない人でも「自分らしい仕事をしている人」は「自己決定」をしています。
結局は権限ではなく「心の持ちよう」です。
自己決定権は社会性より強し
そう考えると、自由の構造は2つあるといえますね。
1つは社会的な立場として、セミリタイアで仕事に臨むといった「仕事の実現方法や在り方」です。
そしてもう1つが、自己決定を持つといった「心の在り方」です。
たとえ仕事をフルタイムにしていても常時「心は自由」という状態を持てますし、またセミリタイアで仕事を僅かしかしていなくても、そん時に不自由を感じることもあり得ます。
こう考えるとFIREをすることよりもいかに「自己決定権を持つか」こそ大事なのかもしれません。
僕のFIREの瞬間について
ちなみに、僕が最後の出勤日、会社を出た瞬間に感じたのは、「肩の荷が下りる」という感覚でした。
それほど強く「自由になった!」と感じませんでした。
別に、それが正しいとか良いといったことを申し上げているのではありません。
仕事においても「自由」なる精神を持とうと思えば可能であるということを身をみって感じましたし、リタイアで「自由を感じにくい」という気質があったことからそう思えました。
サラリーマン生活というのを悲観しすぎず、心の持ちようを重視して望みを持っていただければとは思います。
ただ、ブラック企業であったり劣悪な人間環境や社内ルールなど、どうみても「自由」を得られる土壌がないこともあるのでそこはしっかり見極める必要はあります。
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