僕は社会人になる前日、かなり絶望していました。
自由だった大学生活が終わり、これから何十年も会社で働くのかと思うと、とても気が重かったからです。
ただ振り返ってみると、サラリーマン生活は意外と面白く、結果としてFIREにとって経済的にも精神的にも合理的な時間でした。
そんな働き方の原点は、実は大学に入る前の経験にありました。
今日はそのことを綴ります。
大学で知った「お金=機会」という感覚
大学に入る前、僕は有名ホテルでウエイターのアルバイトをしていました。
早朝から夜遅くまで、厳しい躾を受けて我武者羅に働きました。
その理由は、大学生活を思い切り楽しみたかったからです。
結果として、入学までに100万円ほど貯めました。
大学生活に入ると、日々、飲み会、イベント、旅行、合宿など、楽しい機会がたくさんありました。
周囲には「金欠だから」という理由で断る人もいるなか、自分は貯蓄が十分で、これらの機会を逃さずに済むんだと実感しました。
この経験から、お金は人生の機会損失を防ぐものだという実感を持つようになりました。
サラリーマン生活は準備期間
社会人になるとき、僕はこの考え方をサラリーマン生活にも当てはめました。
将来の人生の機会を狭めないためには、ある程度のお金は必要です。
だから会社員として働く時間は、お金と経験を作る期間だと考えました。
ただ正直なところ、サラリーマン生活は自由のない辛い世界です。
そこで僕は、会社では「役割を演じるだけで良い」としました。
辛くて嫌な会社員生活は、自分の人生の全てではなく、「期間限定で、お金と経験を獲得するための、自分が演じる役割だ」という考え方です。
そう思うと、少し気持ちが楽になりました。
仕事は、資本主義ルールの中でお金と経験を得るゲームのようなものだと、シンプルに割り切ったからです。
会社で人が壊れていくのを見て気づいた
社会人生活を送る中では、仕事が原因で体調を崩してしまう人を何人も見ました。
取引先からの大きなクレームを受け、重圧で精神を害したのです。
でもその内容は会社の方針に対するクレームであって、その担当者の力量とは関係ありません。
でも担当者はそれをすべて自分の問題と捉え、抱え込んでしまい、結果として体調を崩してしまいました。
そのときに、はっとしました。
僕は会社での仕事を「役割」として捉えているからストレスも少ないんだ。
実際、仕事で理不尽なことや感情的に怒られようが、それを感情で受け止めず、まずは「問題の所在が会社にあるのか、自分の振る舞いや対応なのか」と冷静に切り分けます。
仮に自分の対応に問題があったとしても、それは人格の否定ではなく、自分の役の演じ方に問題があった、と考えます。
これがストレスを和らげる大きなクッションになっていました。
終わりに
こうして振り返ってみると、絶望から始まったサラリーマン生活は、FIREにとって意外と合理的な時間でした。
会社員というのは、資本主義ルールに基づくゲームであって、自分はそこでお金と経験を作る役を演じるだけだ。
そう考えることで、サラリーマン時代、精神的には仕事に支配されず、経済的には資産を作ることができました。
そして、これがFIREという選択を現実のものにする準備期間にもなりました。
期待値の低さと絶望感が、こうした結果になるとは、当時は想像すらできませんでした。
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