FIRE後に猛烈に働くのは本当にFIREか?~その違和感の正体

2026-02-28

経済的自由・FIRE

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世間で、「FIREをしました」と言いながら、猛烈に働いている方を見かけることがあります。

理屈のうえではFIREですが、僕はどうも「これは本当にFIREか?」と感じてしまいます。

FIREの定義からいえば、確固たるFI(経済的自立)を作ってさえいれば、REの形は自由に実現できます。

①働かない、②少し働く、③猛烈に働く。

どのパターンでも、生きていくことはできます。

FIとは選択権の獲得であり、REはその選択権をどう行使するかの話だからです。

なので、会社を早期リタイアしたうえで「好きなことをやっている」と猛烈に働いても(③)、理屈上はFIREとして成立すると言えます。

それでもなお、拭えない違和感が残るので、今日は、その正体を自分なりに整理してみます。

違和感①:動機が上書きされていない

FIREかどうかを、労働時間の多寡で線引きするのは本質的ではありません。

好きなことなら、寝なくてもやっていられますし、周囲からは労働に見えても、本人にとっては趣味や探求かもしれません。

問題は、「何をしているか」ではなく、その動機がFI前から上書きされているかです。

サラリーマン時代には、

・仕事スキル向上=正義

・能力開発=正しいこと

と信じて疑わない価値観がありました。

この発想が取り切れないままFI後を迎えると、

・目的なき能力開発を続けてしまう

・使い道のないスキルを積み上げ続けてしまう

という状態に陥りやすくなります。

これは「働いているからFIREじゃない」のではありません。

FIがあるのに、FI前の価値観で生き続けていることへの違和感です。

経済的には自由でも、精神的には会社員時代の延長線に見えてしまう。

だから、この違和感は拭えません。

違和感②:本当に「やめられる」のかが見えない

この違和感①が残っているとき、次の疑問が生まれます。

「その働き方を、本当にやめられるのだろうか?」

FIRE後に猛烈に働く人は、よく「いつでもやめられる」と言います。

FIがある以上、それは理屈としては正しい。ただ、「やめられる」と「やめても平気」は同じではありません。

もし手放した瞬間に、

・張り合いがなくなる

・自分の価値が分からなくなる

・時間の空白に強い不安を覚える

としたら、心理的には「やめられない」状態かもしれません。

この内面的な拘束は、外からは見えません。

だからこそ、猛烈に働く姿を見て「FIREかどうか」が分からなくなるのです。

違和感③:お金との距離感が測れない

さらに判断を難しくするのが、「お金を稼ぐつもりはなかったのに、結果的に稼いでいる」ケースです。

本人は、

・やりたいことをやっているだけ

・お金は目的ではない

と言いますし、それが事実なら、とても健全なFIREの姿にも見えます。

ただ一方で、

・稼げている状態を手放せない

・収入が減ると不安になる

といった感情が混ざると、境界は一気に曖昧になります。

お金に執着しているのか、たまたまお金がついてきているだけなのか、この線も外部からは決して測れません。

終わりに

猛烈に働いている人がFIREかどうか、周囲が線引きする必要はないと思います。

FIREの最大のメリットは、自分を解放し、本当に好きな道に進めることです。

自分自身が問い直し、違和感に気づいたなら必要な軌道修正をすればいい。

本人が、自分の動機や価値観を見極める目を持ったうえでそれを「FIRE」と呼ぶのなら、FIREなのです。

結局、違和感の正体は僕自身が「FIREを肩書きだと思っているから」かもしれません。

なのでFIREを「生き方の選択だ」と捉えれば、こうした違和感は減ります。

こうして僕自身が行きついたのは、「FIで得た自由に対し、いつまでも誠実でありたい」という強い気持ちです。


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自己紹介

2022年3末に完全リタイア。FIREの自由で創る”自分らしいセカンドライフ” としてFIRE-Driven Lifestyle Innovationをテーマに、日々の気づきや経験を発信して精神的に豊かなFIREを応援します。
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